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EternalLifeに関するnash-bridgesのブックマーク (3)

  • 3ToheiLog: 生きるべきか死ぬべきか、どちらも問題だ

    生きるべきか死ぬべきか、どちらも問題だ 死ぬべきか死なぬべきか。それは問題なんだろうか? 404 Blog Not Found: 不死の当の意味 分裂勘違い君劇場:他人のために死ぬと言うこと の辺りの議論を読んでみて、書きなぐり。 後者のエントリでfromdusktildawnさん曰く: そのため、進化のある時点で、「個体をプログラム的に老化させ死亡させる」という遺伝子が生まれたとしよう。この遺伝子が集団全体に広がることにより、その集団では、社会の新陳代謝が促され、環境変化が起きたときも、適応能力を持つ新しい個体が古い個体と入れ替わることで、集団全体の適応能力を維持するとする。 しかし、「老化による死」の遺伝子を全ての個体が持つ、このサル集団の中に、あるとき、その遺伝子が傷ついて機能しない個体が生まれたとする。その個体は、「老化による死」の遺伝子が傷ついていて、正しく機能しないわ

  • 赤の女王とお茶を - 死を知ることは自分を知ること

    生活も落ち着いて参りましたので、またボチボチ書いていこうかと思います。 ちょっとだけタイトル変えました。。今後ともよろしくお願いいたします。 不死の当の意味 一応生命科学の末席に身を置く者として軽く指摘をば。 実際、細胞レベルでは不死はすでにいくらでも見つかっている。一番有名なところではHeLa細胞がある。元々のこの細胞を持っていた人は死んでしまったが、この細胞は全世界の研究所で生きている。この細胞、実はがん細胞だ。 せっかく「死とはなにか」といっておきながら、やっぱり「死」の概念が曖昧ですね。 確かに「HeLa細胞」は今でも研究室で生きています。しかしながら、それは既に何十代にも渡って植え継がれてきた細胞の「子孫」であって、もともとHenrietta Lacksさんに息づいていた細胞ではありません。 通常の細胞は分裂回数に限度があり、ヘイフリック限界と呼ばれています。いわゆる「不死化細

    赤の女王とお茶を - 死を知ることは自分を知ること
    nash-bridges
    nash-bridges 2006/11/04
    皆さん環境・変化に適応適応と大合唱ですが、人間はそれを自ら作り出すことができるということを忘れていますね。あるいは都合が悪いので無視しているのかも
  • 他人のために死ぬと言うこと - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

    「他人のために死ぬ」という感動ストーリーは、何千、何万もの小説、マンガ、映画で使われてきた。 読者を感動させるよい方法を思いつかないときは、とりあえず、このパターンをつかっておけば、それなりの話に仕上がる。 そして、「他人に場所を譲るために死ぬ」というのも、そのバリエーションの一つだ。 その典型が、よく小学校の教科書などに載っている「ゆずり葉」という詩で、私のような安い人間は、この詩を読み返すたびに、涙が出てくる。 しかし、ひとしきり感動の涙を流した後に、頭を冷やしてみれば、「自己犠牲の感動」という麻酔薬にやられて、肝心なところがいくつもごまかされてしまっていることに気がつく。 それは、ほんとうに自然の法則に従った行為なのか? 「他人のために死ぬ」と公言するのは、当に人間として美しい行為なのか? そもそも、他人のために死ぬ「必要」があったのか? 「お釈迦様をもてなすため、なんのプレゼント

    他人のために死ぬと言うこと - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
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