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先日の対談で「書き手に責任はない」という話をしました。ここがどうにも突っかかる人がいるようなので、書いてみたいと思います。ぼくも整理できてない感じがするので。 特に先日の対談では、「イケダがノマドを煽ることによって、会社を辞めて人生に失敗して、自殺する人がでたらどうするんだ」という、倫理的な責任が問題になっていました。 これについてのぼくの書き手としての答えは、「そんなのは読者の責任だろう」というものです。 と、これで分かっていただけるかと思いきや、流石に不親切であることに気づきました。もうちょっと噛み砕きますと、 「著者として最大限被害者(自殺者)が出ないように配慮するけど、読者の人生の選択は読者自身の問題なので、著者であるぼくはあなたの選択ミスの責任を引き受けることはできない。場合によってはなんらかのケアをするが、その約束はできない」。 なんてことばで表現できます。どうですか、これなら
@ihayato 人に対して誠実であろうとすることは、すごく難しい。謝った情報やその時の人間関係の状況で、相手のために正直にいったことが、実は間違い、ウソを教えていることもありますよ。あなたのノマド礼賛が時に行き過ぎて社会悪に見えます。 — 沙菜子(さなこ)さん (@36sanako) 2013年5月16日 「なたのノマド礼賛が時に行き過ぎて社会悪に見えます」というメッセージを頂きました。晒すようであれですが、そんなに悪意はありません(怒ってもいませんよ)。この手の「社会悪」批判はしばしばいただきますので、改めて書いてみます。 まず、この手の批判に違和感を覚えるのは、発言の前提として「イケダハヤトの言葉に煽動されて人生を失敗する弱者たちが存在する」という理解があることです。 論点①は、「そもそもそんな弱者いるのか?いるとしたらどう振る舞えばいいのか?」という話。 ちなみに、ぼくはそんな「弱
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