日本史上最も有名な偉人「聖徳太子(厩戸皇子)」と彼の部下であり最後の遣隋使および最初の遣唐使である「犬上御田鍬」によるマルチタスクに関する対談です。 犬上御田鍬:皇子、本日はよろしくお願い致します。 厩戸皇子:よろしくお願いします。 犬上御田鍬:皇子といえば「聖徳太子」でおなじみですが、この「聖徳太子」という呼称自体は皇子の死後100年以上たってからだったんですね。 厩戸皇子:その通りです。実は私の呼称は生前、死後含めて結構多いんですね。上宮王、豊聡耳、上宮之厩戸豊聡耳命、法主王、豊聡耳聖徳豊聡耳法大王、上宮太子聖徳皇、厩戸豊聰耳聖徳法王、上宮厩戸、厩戸皇太子などがあり、生前は厩戸皇子や厩戸王などと呼ばれていました。 犬上御田鍬:なるほど。特にその中でも「豊聡耳(とよとみみ)」という呼称についてですが、この名がついた由来については後世でも結構有名になっているんですよ。 厩戸皇子:え、本当で