先日の紀宮の結婚式における石原慎太郎の乾杯の挨拶で、ベルグソンという哲学者の名前が飛び出してきたときにはちょっと驚いた。いかにも石原慎太郎らしい思わせぶりな発言だと思いつつも、その挨拶の中身にはかなり違和感を感じないわけにはいかなかった。とりわけ、ベルグソンの言葉だと言う「信仰と結婚は似ている、ともにその本質は賭けだ…」という発言には唖然とした。そしてさらに、「国民と共にその賭けの行末(配当の分け前)を注視したい・・・」というような説明には…。僕は、石原慎太郎の引用が、勘違いの可能性がないわけではないがt(パスカルの「信仰は賭け…」を勘違いか?)、場所が場所だけに間違って引用しているはずはないと思う。以前にチェックしているはずだから。しかし、先日の東條英機発言もそうだったが、最近の石原慎太郎には不用意な発言が目立つ。いずれにしろ、そのベルグソンの言葉が事実だったとしても、その意味と使い方は
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