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dokuhebiと猫猫先生に関するneaniasのブックマーク (7)

  • ■ - jun-jun1965の日記

    現在発売中の『サピオ』で、小林よしのりが遂に佐藤優批判を始めている。『サピオ』には佐藤も連載しているから、そこで佐藤批判ができるのも小林ならではだなあ。 さて、批判されても逃げまくり、小林言うところの「無名の文藝評論家」に、代わりに相手への罵詈雑言を投げつけさせる佐藤は、小林の挑戦に応じるのか、それともまた「無名の文藝評論家」に任せて逃亡するのか!? 西郷隆盛はこんな卑怯な男ではなかったよなあ。 - 浄瑠璃の三大名作とされる『菅原伝授手習鑑』『仮名手忠臣蔵』『義経千桜』の作者を、竹田出雲・並木千柳・三好松洛と覚えている人が多く、高校などでもそう教える教師がいるようなのだが、『菅原』は初代出雲、残り二つは二代目出雲である。まあ出雲は今でいえば総指揮のようなもので、実際に書いたのは後の宗輔、並木千柳だが、橋治も間違えていたので、気をつけるように。

    ■ - jun-jun1965の日記
    neanias
    neanias 2008/08/07
    「小林言うところの「無名の文藝評論家」」
  • 小谷野敦と毒蛇(2) - そいとごえすの退避ブログ

    今山崎行太郎はid:dokuhebinikiとid:yamazakikotaroの2アカウントを使って(といっても片方は単なるコピペだが)小谷野敦(id:jun-jun1965)に悪罵を浴びせしきりに挑発している。……のだが。今回もまた華麗にスルーされることであろう。前回同様に。 山崎の文章はあいかわらず下品でひどいものだが、読みようによっては大変面白い。以下引用してお楽しみポイントをメモしておく(太字は引用者による)。 小谷野敦って、顔に似つかわしく、卑怯な奴らしく、もう形勢不利と見て、さつさと、逃げるつもりらしい。あれだけの啖呵を切っておいて、そそくさと逃げるなんて、やはり茨城あたりの百姓のセガレらしい振る舞いである。 というわけで、小谷野が、2、3年前、「評論家入門」という駄で、オレ様(山崎行太郎)を批判・罵倒した文章をこれから、「2ちゃんねる」の過去ログあたりから(笑)、持ち出し

    小谷野敦と毒蛇(2) - そいとごえすの退避ブログ
  • 小谷野敦は、単純素朴な実証主義者だね。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ブログ・ランキングに参加中!!!→… 昨日書いた佐藤優の「アエラ」大鹿記者への公開状をめぐる問題だが、以下に引用するのは、小谷野敦がブログに書いた佐藤批判である。小谷野の佐藤批判は、当たっているものもないわけではないが、まったくピントハズレとしか見えないものがほとんどだ。小谷野批判が当たっている部分は、「正閨」という言葉の意味の部分である。確かに、小谷野が言うごとく佐藤は、「正閨」を「正統」と理解し解釈しているようだ。この点に関しては小谷野主張が正しいだろう。しかし、他の部分は、小谷野という批評家・研究者の知的レベルがどんなものかを象徴していると言ってよい。小谷野敦という人は、「二+三 = 五」という思考しか出来ない人であることがわかる。いわゆる素朴実在論的な実証主義者というわけである。それが、小谷野得意のキイーワード「論理の飛躍」という言葉である。小谷野的に言えば、独創的な発想や思考は、

    小谷野敦は、単純素朴な実証主義者だね。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
  • 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 - 佐藤優からの「大鹿靖明『AERA』記者への公開質問状」

    ブログ・ランキングに参加中!!!→… 先日、「日刊・ベリタ」というインターネット新聞の若い記者で、その数日前、「月刊日」創刊10周年記念パーティの席で名刺交換したばかりのS君から、メールで「佐藤優」に関する取材申し込みがあったので、喜んで引き受けることにした。佐藤優は、最近の評論家、ジャーナリストの中で、僕が早くから高く評価し、注目している物書きだし、しかもつい最近、大宅ノンフィクション賞を受賞したり、あるいは「アエラ」の「佐藤優特集ー佐藤優という罠ー」記事をめぐって、「アエラ」の大鹿記者と一悶着を起こしているらしいとも聞いているので、僕としても、ここらあたりで、僕なりの「佐藤優論」を展開したいものだと思っている矢先だったので、「待ってました!」とばかりに、簡単に取材を引き受けたわけなのだ。善は急げ、というわけですぐに日程を確定し、しかも取材当日は、S君が、わざわざ小生の自宅近くまで来て

    文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』 - 佐藤優からの「大鹿靖明『AERA』記者への公開質問状」
  • 渡部直己との対談 - jun-jun1965の日記

    『サイゾー』六月号であるが、誌面に出なかったものもあるし、人の感想です。 まず、「タブー」に関する特集なので、天皇については他でやるだろうと思ったのだが、渡部氏はどうも天皇ものを取り上げすぎだった。(やはり他にあった)。私としては、今現在の文壇のタブー作家の話を主にしたかったのだが、渡部氏は昔の話が多く、大江健三郎や石原慎太郎がタブーだと言うのだが、大江タブーはノーベル賞をとった13年も前のことで、まあ数年前にも『週刊朝日』「蝿」事件はあったとはいえ、小林秀雄賞をとった荒川洋治のでもずいぶん悪く書かれているし、石原のほうは、リベラル系メディアでは相当悪く書かれていて、タブーではないだろうと思った。これは誌面に出ている。 あと村上春樹の悪口は当然ながら、宮輝、高樹のぶ子が純文学作家として振舞っていることにも疑問を呈したのだが、これは載らず。宮輝は、選考委員としての悪口はずいぶん言われ

    渡部直己との対談 - jun-jun1965の日記
  • 2007-05-18

    ■「月刊サイゾー」にコメントで登場・・・。 ランキング政治)に参加中!!!→… ■「月刊サイゾー」にコメントで登場・・・。 先日、「月刊サイゾー」(特集「日の裏側が見える! タブー破りの100冊」)の取材を受けたのだが、どういう雑誌で、全体がどういう企画なのかもよくわからないままだったので、雑誌が出来上がるのが少し心配だつたが、出来あがった雑誌が送られてきたので、開いてみると意外にまともな硬派系雑誌で、気骨のある編集姿勢とともにそのかなり過激な内容に好感を持った。「噂の真相」の後釜でもねらっているのだろうか。それなら大いにやってもらいたい。さて、僕が登場するのは、文壇のタブーとしての言論弾圧に関する下りで、戦時中の言論弾圧について語った、ごく短いコメントだけだが、文壇関係記事のメインはと見てみると、小谷野敦と渡部直己の対談「日文学はすでに死に体なのか!?」になっている。文壇には言論

    2007-05-18
    neanias
    neanias 2007/05/21
    想定の範囲内というか、サイゾー編集部はあとで揉め事が起きるのを狙ってこの構成にしたのか?
  • 小谷野敦の「なんとなく、リベラル」(「文学界」)を読む。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ■無能な大学教授や女性研究者が、何故、蔓延るのか。 車谷長吉が「文学の基」(「新潮」2月号)というエッセイで、まさしく文学の基問題について、例によって過激なことを書いている。とは言っても、これは慶応大学での講義録(「詩学」)のまとめを再録したもののようだが、そこで車谷長吉が質的な議論を展開しているが、中でも、文学の世界に、「頭の悪い人」や「頭のいい人」や「頭の強い人」…がいるという議論には感服した。車谷長吉は、「頭の強い人」が一番文学に向いていると言いながら、「頭のいい人」の部類に入る作家たちを、たとえば大学教授とか大学助教授という社会的な身分を確保しつつ小説や批評を要領よく書いて、文壇を闊歩しているような軽薄な作家や批評家たちを、「傷つくことを恐れる」小心者たちだ、とこき下ろしている。文学者は、そうであってはならないだろう、と。むろん、私は車谷長吉の主張に全面的に賛成する。と同時に

    小谷野敦の「なんとなく、リベラル」(「文学界」)を読む。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    neanias
    neanias 2007/01/24
    ←久々にこのタグ使った
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