俺はいじめられっ子だった。きっかけはよく憶えていない。コミュニケーションは不確実性の海のなかから創発するのであり、ほんのささいな動因が全体のダイナミズムを生み出していくわけだから、本源的原因なんてものを考えても無意味なのかもしれない。いじめられ始めたのは中学二年生くらいだった。ちょうど思春期とはアイデンティティ確立のために自我が模索をし始め、またある意味で理想のイマージュに惑乱される過敏な再パラノイア化の時期であり、俺もいずれは天文学者になろうだなんて考えていた。「天上なる星々と我が内なる道徳法則」と畏敬を込めてイマニュエル・カントは言っている。俺は綺羅びやかな星々になにか超越的なものを見ていたのかもしれない。 俺はカバンに牛乳をぶちまけられたこともあったし、女子からは給食のときに席を離された。いじめられながら思った。「誰が悪いんだろう?」と。 俺は純朴に、いじめてきた奴らが悪いんだと