宇佐美が新天地に選んだのはブンデスリーガ2部のフォルトゥナ。とにかく自分の存在価値を示したいという思いで移籍を決意したという 【高木直人】 日本代表の命運をかけたワールドカップ(W杯)ロシア大会・アジア最終予選のオーストラリア戦。2−0で勝利し6大会連続の出場を決定づけた井手口陽介のゴールを、宇佐美貴史はインターネットのニュースで確認した。ガンバ大阪時代のかわいい後輩が決めたゴールをどのような心境で知ったのか。 宇佐美は「かわいくはないですけどね」と笑いながら前置きをし、「出場を決める点を決めてくれたというのは、ありがたい刺激を後輩からもらえたなと思います。やっぱり、ああいうステージに自分自身も立ちたいので、そのためには(自分が)このチームでどうするかというのを強く思わせてくれたゴールだったのかな」と答えた。 宇佐美が今季、新天地に選んだのはドイツ中西部にあるデュッセルドルフを本拠地とする
アウクスブルクからデュッセルドルフに移籍したFW宇佐美貴史(26)が、途中出場したデビュー戦で移籍後初ゴールを挙げた。 試合後の一問一答は次の通り。最初にドイツメディアが入り、宇佐美はドイツ語で取材に応じた。(鈴木智貴通信員) ◇ ◇ -最初の試合でゴール? (ドイツ語で)「もちろんすごくうれしいです。2-2の同点にする重要なゴールだったので。チームも勝つことができましたが、それが一番大事です」 -デュッセルドルフは首位を守っている (ドイツ語で)「まだ5試合ですよね?」 -とはいえ、首位です (ドイツ語で)「もちろん首位にいることは大事ですが、まだ多くの試合が残っています…」(日本語で通訳を介し)「でもシーズンが終わった時が大事なんで」 -試合に出られると思ってた? 「いや、状況で…勝ってればアレかなと思ってましたけど、追いつかれて。その中で点を取ってなんとか勝たせたいなと思ってま
「戦術の研究材料としては最適のゲームだった」 ミケル・エチャリ(70歳)は、試合を簡潔に表現している。エチャリはスペインで指導者ライセンスを与える教授役でもあり、ウナイ・エメリ、ガイスカ・ガリターノら大勢の弟子がいる。その彼が、8月31日に行なわれたW杯アジア最終予選、日本対オーストラリアをスカウティング。「タクティカルゲームの教材」と言い切った。 では、両チームはいかにして戦術をぶつけ合ったのか? スペインの慧眼(けいがん)の解釈から、ロシアワールドカップに挑むハリルジャパンの現在地が見えてくる。 選手交代も奏功、ファンに勝利を報告するハリルホジッチ監督「日本とオーストラリアは昨年10月にも戦っているが、今回は両者ともまったく違ったシステムを選択している。日本は4-2-3-1ではなく4-3-3を採用。両サイドの浅野拓磨、乾貴士が献身的な守備を求められたことを考えれば、4-1-4-1とも言
サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki 【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】ハダースフィールドの物語(1) イングランド北部のハダースフィールド。この平凡な町のフットボールクラブが昨シーズン、2部リーグに相当するチャンピオンシップ5位からプレミアリーグ初昇格を果たした。今季のプレミアでの滑り出しは絶好調。第3節を終えた時点で3位につけている。未知の世界での戦いに、クラブ関係者やファンは何を思っているのか。サイモン・クーパーの現地取材を3回シリーズでお届けする。 ドルトムント時代、ユルゲン・クロップに影響を受けたハダースフィールドのデイビッド・ワグナー監督 photo by Getty Images ハダースフィールド・タウンFCのトレーニンググラウンド「PPGカナルサイド」。ここ
“リオ世代”の躍動は、やはり手倉森誠氏の存在が大きかった。日本代表を2018 FIFAワールドカップ ロシアに導くゴールを決めたFW浅野拓磨(シュトゥットガルト)が、オーストラリア代表戦から一夜明けた9月1日の練習後、現在はA代表のコーチを務める手倉森氏のサポートに感謝を示した。 大一番でリオ世代の活躍が光った。8月31日のオーストラリア戦でヴァイッド・ハリルホジッチ監督からスタメンに抜擢された浅野とMF井手口陽介(ガンバ大阪)は、それぞれゴールという結果で期待に応え、日本を6大会連続のW杯出場へと導いた。他にも、FW久保裕也(ヘント)やDF植田直通(鹿島アントラーズ)らもメンバーに定着しているが、浅野はリオ世代がもっとA代表を底上げできると信じている。 「リオでやってきた選手も何人も入ってきていますし“俺たちにもできるんだ”っていう気持ちはみんなが持っている。(リオ世代が)どんどん入って
2017/9/1 19:07 VictorySportsNews編集部 サッカー日本代表は31日に行われたワールドカップ・アジア最終予選のオーストラリア戦に2-0で勝利し、6大会連続のワールドカップ出場を決めた。その試合後の公式会見で、「プライベートで大きな問題があった」と明かしながらも、質疑応答を避けたヴァイド・ハリルホジッチ監督が、1日にあらためて会見を行った。そこで語られたこととは――。(文:VICTORY SPORTS編集部) 私から辞めるということはありません「コンバンハ(日本語で)。昨日の試合の後の会見を申し訳なく思っています、皆さんの前で長い時間話せませんでした。皆さん聞きたいことがたくさんあったと思いますが、これまで誰も知らなかったことも、そのとき発言しました。素晴らしいゲームの後のお祝いに、水をさすことはしたくありませんでした。 非常に難しい状況で、ほぼパニックに近い状
2017/9/1 12:04 千田善 8月31日のオーストラリア戦に快勝し、W杯出場を決めた日本代表。しかしその記者会見の席でヴァイド・ハリルホジッチ監督は、退任を示唆するようなコメントを残し、質問すら受け付けずに会場を後にしました。その後ボスニアでの報道によると、ハリルホジッチが悩んでいたのは家族の健康問題だったようです。イビチャ・オシム元日本代表監督の通訳で、国際ジャーナリストの千田善さんに解説を依頼しました。(文:千田善) サウジ戦は監督代行を認めてはどうか©Getty Imagesオーストラリアに快勝し、W杯ロシア大会の出場を決めた試合後、ハリルホジッチ監督は記者からの質問を受けず、支援への感謝を口にしただけで記者会見場をあとにした。 「実は私には、プライベートで大きな問題があった。皆さんはご存じないと思うが、その問題のことで私は、この試合の前に帰国しようと思った。サッカーとは関
日本をロシアに導くゴールを決めたのは、22歳の若きストライカー浅野拓磨だった。この値千金のゴールの裏には、彼が尊敬して止まない内田篤人の『ある一言』が大きく影響していた。 FIFAロシアワールドカップ2018アジア最終予選・日本VSオーストラリア。ホーム・埼玉スタジアムで行われたこの一戦は、勝てば日本のロシアW杯が決まるという、重要な一戦だった。 この注目の一戦を一目見ようと埼玉スタジアムに集結したサポーターは59,492人。この超満員に膨れ上がったスタジアムを、歓喜の渦に巻き込んだのが浅野の冷静なゴールだった。 0−0で迎えた41分、CB昌子源から左サイドに流れたMF井手口陽介に縦パスが渡り、井手口が大外をオーバーラップして行ったDF長友佑都に縦パスを送り込んだ瞬間、浅野は右サイドハーフのポジションからスルスルとゴール前に入り込む。そして、長友がゴールとは反対側に切り返してクロスの体勢に
ボール支配率65%→42%が意味するもの 8月31日、W杯最終予選第9戦。日本はオーストラリアを攻守で圧倒し、FW浅野拓磨が巧みな裏への抜け出しから奪った“寿人ゴール”とMF井手口陽介がショートカウンターから突き刺した“ゴラッソ”でロシアへの切符をつかみ取って見せた。 勝つべくして勝ったと言うしかない完勝ゲームだったが、日本のボール支配率は33.5%。アジアのチーム相手にホームでここまでポゼッションで差を付けられることはなかなかないが、ハリルホジッチ監督が明確に舵を切って、意図的にボール支配を捨てていたことは明らかだった。中盤3枚の構成はMF長谷部誠をアンカーに、“猟犬”タイプの山口蛍と井手口を前に置く逆三角形。山口と井手口は相手のダブルボランチへ徹底的に食い付いて、はがされても追いかける絶対的な運動量で相手の心臓部が心地よく鼓動することを許さなかった。 一方、相手に“楽しくない”リズムで
日本を6度目のW杯に導いたバヒド・ハリルホジッチ監督(65)。その長男バニオ・ハリルホジッチ氏(33)が日刊スポーツに独占メッセージを寄せた。幼少時代、ユーゴスラビア紛争でボスニア・ヘルツェゴビナの自宅を焼かれ、指導者としても浪人生活を余儀なくされた姿を見てきた愛息が、父親の異国での成功を祝福した。 父さん、予選突破おめでとう。アルジェリア(14年W杯ブラジル大会出場)に続く成功を日本でも収めたこと、本当に誇りに思います。フランスでは、ベンチで怒る姿が「レ・ギニョル」(人形劇形式で風刺する名物テレビ番組)のネタになるほど熱かったけど、日本でもそうだったのかな。 昨年9月に僕がクロアチアで挙式した時、最終予選の合間に日本から戻ってスピーチしてくれたね。「ハリルホジッチ家の苦難の道のりを振り返れば、この結婚は本当に誇りだ」って。 そう、二十数年前は本当に複雑な環境にあった。旧ユーゴ内戦で、すべ
日本戦を振り返ったキャプテンのミリガン(5番)。中盤で速いボール回しができなかったことを悔やんだ 【Getty Images】 サッカー日本代表は31日、埼玉スタジアム2002でワールドカップ(W杯)アジア最終予選オーストラリア戦に臨み、2−0で勝利。6大会連続となるW杯出場を決めた。日本は前半41分、左サイド長友佑都からのクロスに浅野拓磨が合わせて先制すると、後半37分に井手口陽介がミドルシュートを決めて快勝した。 オーストラリアはボールをつなぐポゼッションスタイルを志向していたが、試合後、主将のマーク・ミリガンは、「中盤がごちゃごちゃしていたことで、こちらとしては狙い通りにボールを速く動かすことができなかった」と振り返った。中盤でプレーしていたジャクソン・アーバインも「ボールを速く動かすのが僕らのスタイルで、それができなかったことでフラストレーションの溜まる展開になってしまった」と日本
こちらが圧倒されるくらいのペースで、次々と言葉が出てくる。今、そんな迫力を備えているのが、日本代表に復帰を果たした武藤嘉紀だ。 武藤が最後に代表戦に出場したのは、昨年9月6日のタイ戦。試合最終盤の8分間だけの出場だった。その前の出場となると、'15年11月のシンガポール戦までさかのぼる。 '14年ブラジルW杯のあと、慶應義塾大学の学生として代表デビューをしてすぐに初ゴールを決めたときの喧噪が嘘だったかのように、周囲はずいぶんおとなしくなった。 彼は何を考えているのか。 先日、マインツの練習場を訪れると、精気みなぎる武藤の姿があった。 練習をおえると、グラウンドからロッカーへ戻る途中の坂道の脇にある段差に腰かけた。練習で全てを出し切ったあとだったからだ。しかし、落ち着いてから紡ぎ出すその言葉はパワーにあふれていた。 昔は「強ければいいじゃん!」と思っていた。 パワーの源泉は、苦しんだ時期を乗
内田が移籍したウニオン・ベルリンってどんなクラブ?…熱いファンと共に悲願の1部初昇格へ 2017.08.23 DF内田篤人が7年間在籍したシャルケを退団し、2部のウニオン・ベルリンに電撃移籍した。再起を図る内田が活躍の場を求めたウニオン・ベルリンとはどのようなクラブなのだろうか? ウニオンは1906年に創立され、1920年代までにベルリン南西部のクラブが統合を繰り返し、ドイツを代表する強豪にまで成長した。「ウニオン(連合)」という名前は、この時代からの名残が定着したものだ。その後、1949年に東西ドイツに分裂した際に、クラブも分裂を経験したが、再び統合と名称変更を繰り返して、1966年に現在の姿になった。 そして1968年にはFDGBポカール(東ドイツ国内カップ戦)を制覇し、初のタイトル獲得を果たした。しかし、栄光は続かず、1986年にFDGBポカール決勝で敗れて2つ目のタイトル獲得を逃し
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