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オタクに関するnekomuraのブックマーク (3)

  • 「参加者」気取りのクソ虫の害

    ラーメン評論家の入店お断りします」あまりに悲しいTweetで見えてきた作り手とべ手の分厚い壁 https://news.yahoo.co.jp/byline/idetaicho/20210924-00259840 こういうクソ虫、どのジャンルにもどの業界にもわくからマジで気を付けたほうがいい。 1 全業界に共通する「参加者」クソ虫の害 べ手には上下・優劣はないがラーメン評論家はメディアでラーメンについての発信ができる存在ではあるが、べ手のひとりであることには変わりはない。その中で店主へのマウンティングがあったとしたらそれは大きな問題である。 「客」や「消費者」や「ファン」ではなく「べ手」という言い方な。 たぶんラーメンの「作り手」に対応する”対等”な言い方なんだろう。 こんな言葉を使う人間は既に「べ物としてラーメンが好き」ではなく「ラーメンが居場所」になってる連中。 消費者の分

    「参加者」気取りのクソ虫の害
    nekomura
    nekomura 2021/09/26
    あぁ、SFの出版とファンダムの関係と同じね。
  • おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか?

    大塚英志の80年代論『「おたく」の精神史』について周辺の話を掘り下げて考察。「おたく」とは何か?昔のツイートも遡って考えます(Togetter編集部)/大塚英志の1980年代論『「おたく」の精神史』では『漫画ブリッコ』周辺の作り手について一切触れられてませんでした。そこでインターネット上の書き込みをもとに大塚英志以外の視点から見た『漫画ブリッコ』周辺を再検証することにしました。ただし、ここにある書き込みが事実であるとも限りませんので、その点はご了承ください。

    おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか?
  • あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その1

    1977年。オタクという言葉が生まれる前、その10年後にはテレビのバラエティ番組の放送作家として活動し、現在では京都精華大学非常勤講師をつとめるようになった自分は、どんな思いでアニメや特撮を愛したのか? これはその回想録だ。 50になったもう50になるんです。40を越えたあたりで「いい歳になっちゃったなあ」とか思っていたけど、50という数値はそんなレベル超えてますね。諦めの境地とでもいえばいいのか、臨界点突破と言っていいのか…。 50を過ぎて、素敵な仕事趣味に取り組んでいる方はいっぱいいらっしゃるので、その方々に目配せして言っておけば、あくまで自分の場合は40過ぎても「無邪気さ」「初々しさ」を偽装しながら自分の立ち位置をつくってきたがゆえの「臨界点」なんです。威厳を持たない、落ち着かない、ということを積極的に指向してきたゆえに陥る「あ、ここからはスイッチ入れ替えなきゃダメだ」という限界。

    あの日の白いモビルスーツ 1977年からのオタク回想録その1
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