髪型が決まらない。 美容院で渡されるヘア雑誌を見てもどれも同じに見える。なんてこった、あの毛先もこの毛先も遊んでいるじゃないか……こんなこと思うのはおっさんになった証拠だ。 せっかくおっさんになったのだから、ここらでひとつ昔の髪型にしてみるのはどうだろう。 それも古い床屋で「昔の髪型にしてください」と言ってみよう。
髪型が決まらない。 美容院で渡されるヘア雑誌を見てもどれも同じに見える。なんてこった、あの毛先もこの毛先も遊んでいるじゃないか……こんなこと思うのはおっさんになった証拠だ。 せっかくおっさんになったのだから、ここらでひとつ昔の髪型にしてみるのはどうだろう。 それも古い床屋で「昔の髪型にしてください」と言ってみよう。
http://aigeangorm.tumblr.com/post/34144065553/kanose これに追記。 ところで依存とは何か。 これは俺の定義なんで異論あって構わないんだが、「日常生活に支障を来すほど『それ』にのめりこんでいる状態」だと思う。要は「日常生活に支障を来していない」なら依存じゃない。1日100Postを超えるTwitter廃人たちのすべてが依存症かと言うとそうでもないんである。 2ch依存からTwitter依存に移行し、そこから抜け出した俺の場合、本当に「それ」以外は何もできない時間が多々あった。スレッドのリロード以外は何もしない、飯も食わない、いや風呂入れよ、と言った状態。 そこから抜け出したのはTwitterの存在だった。俺は「日常垂れ流し系アカウント」ばかりをfollowしていた(今も)。するとどうだ、みんな日々働いて家事をして遊んで、ネット以外の場所で楽
自分の下書メモを発掘していたら、面白い話題だったので。刺身さん、古いTweet発掘してごめんなさい。 今なら、Facebookでこういう状態は多く起きているのだろう。懇親会などで出会って、とりあえずFacebookの友達に承認したが、もともと繋がりがあった訳でもないので、特にコミュニケーションが発展しないような事態。 Facebookの運営なら、親しくない相手を承認する人が悪いんです!と言いそうだが、面識のない相手ならともかく、一回とはいえ、会ったことのある相手の友達申請を拒否するのはなんとなく気まずいだろう。 SNSはコミュニケーションの濃淡がつけにくいといわれる。もちろん仲良しリストを作るなど、ユーザーによる対策がない訳ではないが、多くの人を友達にしている場合、リストを作るのも一苦労だ。FacebookはIMのようなリアルタイムに近いコミュニケーションもメッセージ機能によって包括してい
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