埼玉県川口市出身。中学生の時、母子家庭の家計を助けるためアイドルタレントになろうと考え、渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格(ただし芸能活動は行わず)。その後、埼玉県立浦和第一女子高等学校、1973年に東京外国語大学外国語学部インドネシア語学科卒業後、競馬専門紙「勝馬」を発行する立馬株式会社に入社。日本初の女性競馬新聞記者となる[1]。 夕刊紙「日刊ゲンダイ」の記者を経て、1977年に騎手(当時)の吉永正人と結婚[1](後に離婚)。ただし、騎手・調教助手の吉永護は正人の前妻との間に生まれた子供であり、吉永みち子の実子ではない。また正人が亡くなる直前には彼の身の回りの世話をしていたという。 1978年、株式会社日刊現代を退社し、約5年間の専業主婦。1983年、雑誌「優駿」誌上の日本ダービー50周年企画で募集されたエッセイコンテスト「優駿エッセイ賞」最優秀作を受賞。これは『気がつけば