まとまりのある話ではないけれども。 「君は正しかったんだよ」と言って貰いたがっている人が、たぶん沢山いる。 診察室の内側にも外側にも。 もとより、普遍的に正しい生き方は存在しない。正しい生き方は人の数だけ存在する。高収入なら正しい、家庭を持てば正しい、統計上、平均値や中央値以上に分類されれば「君は正しかったんだよ」となるようなものではない。正しさ生き方、正しい人生の形はたくさん存在する。 価値観が多様化したとよくいわれる。然り。価値観の数だけ正しさが生まれた、ということだ。人間の数だけ正しさがジェネレートされなければならなくなった。そして各人が自分自身の正しさを、自分自身の審級でもって評価しアセスメントしなければならなくなった――処女と性行為に及ぶことが正しさというなら、その正しさへ!年収八百万の男と結婚することが正しさなら、その正しさへ!――極論を言えば、そういうものである。 もちろん現
普通に生きることが難しい時代 普通に仕事して、 普通に結婚して、 普通に子供作って、 普通に生活できたらそれでいい。 でも無理。 全部上手くいかない。 自分のせい?世の中のせい? 『さよなら絶望先生(1) (講談社コミックス)』の日塔奈美は「自分が普通と言われる事」に怒るのが定番ですが、世間では「普通の事ができない」と嘆く姿を良く見かけるようになりました。その一方で「それが普通」を武器にして理不尽な要求も増えています。 『普通のダンナがなぜ見つからない?』では「普通の男は、0.8%しかいない?」とし、収入・容姿・身長・趣味・飲酒・喫煙・実家の状況などにボーダーを設けて絞っていったら「普通」の人なんて全然居ないよと説いています。なので「普通」がむしろ褒め言葉にすらなってしまったぐらいにインフレーションを起こしているのではないかと思うのですが、あくまで「普通」なのでそれでやっと平常です。 この
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