ブックマーク / blog.gururimichi.com (8)

  • 語彙力を鍛えるためには「言葉を失う」必要がある - ぐるりみち。

    『高校生のための文章読』の中で、芥川賞作家・開高健さんの文章が掲載されていた。アウシュヴィッツ強制収容所を訪れた際に、となり町で見た光景──膨大な数の囚人たちの骨の破片が池や土の下に堆積している様子を目の当たりにして、次のように書いています。 (案内の)おばさんがひくい声で話しているのを耳にしながら、私は骨の原にたたずんだまま、言葉を失ってしまった。一度微塵に砕かれてみたいと思っていた予感は冬空のしたで完全にみたされた。すべての言葉は枯れ葉一枚の意味も持たないかのようであった。 数々の文学賞を受賞した文章のプロをして、 “すべての言葉は枯れ葉一枚の意味も持たないかのよう” であると言わしめる情景と現実。「言葉」が示す表現の範疇はあまりに狭く、しかしそれゆえに確固たる伝達力を持って伝わる「言葉」もあるのだと、考えさせられました。 情報伝達・コミュニケーション手段としての「言葉」 世にあまた

    語彙力を鍛えるためには「言葉を失う」必要がある - ぐるりみち。
    neoSatty
    neoSatty 2015/08/03
    めちゃくちゃ興味深い。という感想をつづる言葉がすでにペラいー
  • 川越『オハナ』の玉子焼きは、やさしく甘く“ふぁふぁジューシー”! - ぐるりみち。

    7月某日。「縁むすび風鈴」を見に行くべく、炎天下の市内を川越氷川神社へ向けて歩いていた、その道中。ちょっと遅い昼べるお店は、前々から決めていた。 玉子焼きで有名な『オハナ』さん。 過去にテレビで取り上げられたこともある有名店らしく、週末のランチタイムには決まって行列ができるとか。先日、訪れたときは並んで待つ気が起きず、泣く泣く断念したこちらのお店。ついに今回、その玉子焼きにありついてきた。 スポンサーリンク 蔵造りの町並みのすぐ近く、玉子焼きに自信アリ 川越に縁のある人相手ならば、「仲町」の交差点、あるいは「マツザキスポーツ」の交差点を入って行ったところと言えば伝わるかしら。 山崎美術館と観光案内所の間に店を構えているのが、玉子焼きで有名な『オハナ(OHANA)』さん。 看板に加えて、店頭に貼ってあるメニューを見ると、何より「玉子」に力を入れていることがよくわかる。 そこそこ良いお値

    川越『オハナ』の玉子焼きは、やさしく甘く“ふぁふぁジューシー”! - ぐるりみち。
    neoSatty
    neoSatty 2015/07/15
    ケイローさんのグルメレポはエッセイみたいで面白い。美味しい玉子焼きたべたいなぁ
  • 初恋のラブレターに、感謝を添えて - ぐるりみち。

    小学校に入学した、1年生の4月のこと。 キミは、ボクの前に、春風とともに現れた。 背中には黒いランドセル。頭には黄色い帽子。 ピカピカなそれらを身にまとい、学校へ行くのが楽しくて仕方なかったあの頃。友達はたくさんいたけれど、そのなかでもとりわけ仲がよかったのが、キミだった。 ただでさえ幼いボクらのなかでも、 際立って幼い顔つきをしていたキミ。 気がつくと、いつも決まって空を見上げていたキミ。ぽーっとしているその横顔が、今も脳裏に焼き付いている。キミの瞳の奥はいつも穏やかで、無垢で優しげな視線に見つめられると、ボクはいつもドキドキしていたんだ。 その桃色に染まったキミの頬の色を、よく覚えている。 白と赤と黒。極彩色のセカイをかき分け走り、巨悪に挑むキミと仲間たちはいつも、ボクらのヒーローだった。何度の転校の際にもキミはボクについてきて、クラスメイトとボクとの間に入って、その手をつないでくれた

    初恋のラブレターに、感謝を添えて - ぐるりみち。
    neoSatty
    neoSatty 2015/07/13
    やばい、、ウルっときた。
  • ブログの読みやすさとか、文章構成とか、デザインとか - ぐるりみち。

    読みました。形式的な「文章の書き方」というよりは、どちらかと言えば……ブログにおける「文章構成」的な話題になるのかな? これが例えば新聞や雑誌、書籍といった紙媒体ならばともかく、大多数が個人の趣味でやっている「ブログ」については、特に統一された決まり事がないのは大前提。 むしろその規則性のなさが魅力であり、ブログの個性のひとつともなっているように思います。なので、「文章構成はかくあるべし!」なんて偉そうなことは言えるものじゃないし、言われても「あっ、はい」としか答えようのないものではありますが。 ただ、明確なルールや規則のない「ブログ」という自由な場において、どのような文章構成を選択するのか、というのは何度か考えたような記憶があるので、ちょいと思い浮かぶことをつらつらと書いてみようと思いまする。 文章の「読みやすさ」ってなんぞ? 「わかりやすい文章を書けるようになりたい!」「読みやすい構成

    ブログの読みやすさとか、文章構成とか、デザインとか - ぐるりみち。
    neoSatty
    neoSatty 2015/06/05
    こういういろんな考え方聞くのって、すごいおもしろい。そして、ブログ独特の工夫の仕方が、また面白いんだよなぁとつくづく思います。
  • 爪がある自慢かよ!ネットを舞台に繰り広げられる『リア充対非リアの不毛な戦い』 - ぐるりみち。

    「ネット上に『爪を切った』と書くときは、『爪がある自慢かよ』と怒りだす人に気をつけなければならない」 この一文を読んで、「なんだか聞き覚えがあるような……?」と感じた人もいるかもしれません。こちら、ちょっと前に各種SNSで広く拡散され、話題になった記事で登場した言いまわしです。 「トゥギャッチ」や「オモコロ」などのウェブメディアでおなじみ、小野ほりでい(@onoholiday)さんの記事ですね。ミカ先輩は黙っていればかわいいと思うんだ。黙っていれば。 さて、先日から読み進めております、川上量生さん監修『角川インターネット講座4 ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代』。その第3章の筆者が、小野ほりでいさんでした。 章タイトルは、「リア充対非リアの不毛な戦い」。ほとんど自称されることのない「リア充」に対して、自らを「非リア」と称する数多くの人たちの心性から、「リア充・非リア」の構造と問題を明

    爪がある自慢かよ!ネットを舞台に繰り広げられる『リア充対非リアの不毛な戦い』 - ぐるりみち。
    neoSatty
    neoSatty 2015/05/21
    真性リア充と真性非リアの間にいる人が、実は結構なやんでたりして
  • 『東京公園』人生の「途中」を誰かと寄り添い合えるのは素敵だなって - ぐるりみち。

    上野恩賜公園。4月某日。 取材と称して週末に都内のとある公園に行ったんだけど、すばらしい癒やし空間が広がってた。芝生にシートを広げてお弁当をべる家族、ベンチで語らうカップル、ギターの練習をする若者、斜面でひとり爆睡中のお兄さん、遊具で跳ねまわるチビッコ。ネガティブの欠片もない。まったり。 — けいろー (@Y_Yoshimune) 2015, 4月 19 週末の過ごし方はいろいろあるけれど、街中の公園ほど「休日」を体現した場所もないんじゃないかと思う。 「休日」の風景を五感で実感しようとするのなら、まずは公園に行けば間違いない。この世の「休日」を凝縮したような景色が、そこには広がっている。一口に言えば、 “Yeah!めっちゃホリディ” な感じのアレ。僕もノリノリで恋したい。 ここ最近、カメラの練習と取材目的で曜日を問わず公園をぶらぶらと歩いている。平日と休日では訪れる人の層が違うのは当然

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    neoSatty
    neoSatty 2015/04/28
    これはいいものを読ませてもらった。こんな風に毎日を感じながら過ごしたい
  • 文章の「推敲」してますか?ブログやレポートの「見直し」は大切! - ぐるりみち。

    学生ならばレポートや小論文。 会社員ならば報告書や考課票。 自分のブログを持っている人ならばブログ。 「読む」だけでなく、普段から文章を「書く」活動をしている人は意外と少なくないんじゃないかと思います。「手書き」の機会は減ったかもしれないけれど、キーボードに向かって文章を考える作業は日常的なもの。FacebookやTwitterだってそうだ。 ただ、そのような文章に日頃から接していて感じるのが、「その文章、ちゃんと『推敲』してますか?」というツッコミ。……いや、気軽に投稿できるSNSならいいんですよ。むしろ誤字が「ボケ」としておいしい状況になるかもしれないし。 しかし、1,000字以上の文量を伴う文章を読んでいると、意外と見かけるんですよね。ちょっとしたミスを。別に読めなくはないし、「こまけぇこたぁいいんだよ!」もそのとおりだとは思うのですが、なーんかもったいないなー、と思うので。「推敲」

    文章の「推敲」してますか?ブログやレポートの「見直し」は大切! - ぐるりみち。
    neoSatty
    neoSatty 2015/04/17
    勉強なりました!でも、5つもみつけられへん…
  • 自分が死んだらどうなるの?墓標としてのブログやSNSアカウント - ぐるりみち。

    丸2日と半日、体調を崩して寝込んでおりました。 水曜夜に「なんだか寂しいしダルい……あっこれ風邪だわ」と嫌な予感と確信を抱きつつ床に就き、その3時間後には高熱でうなされ目を覚ます。いつぞやの胃腸炎並みに腹を下し、ひぃひぃ言いながらオフトゥンに包まれていた格好でございます。 その人の平熱と体力、精神力によっても違いはあれど、高熱が出たときの精神状態って何段階かに分けられると思うんですよね。自分の場合だと、 37度台:仕事読書などはできるが能率が著しく低下、寝たい 38度台:通常活動困難、無性にお世話して欲しくなる、おっぱい 39度台:ネガティブスパイラル思考、あ、これ死ぬんじゃね? こんな感じかしら。今回は数年ぶりに40度寸前まで上昇したこともあり、「あー死ぬわー死ねるわー遺言書いてねーわー」なんてアホなことをアホだと知りながらも考えていた始末。たぶん。意識が曖昧ゆえ。これがアレか。俗に言

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    neoSatty
    neoSatty 2015/04/13
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