警視庁警察学校を経て、蔵前と浅草が担当の所轄署で交番勤務となる。当時は学生紛争が過激化していた情勢下で、1968年の新宿騒乱事件では、特別機動予備隊員として[22]最前線で攻防に加わったこともある。だが勤務するうちに、相手に情が移って交通違反の切符を何度か見逃していたところを上司に見つかり、説教を受ける中で「自分は法を執行する側の人間ではない」と悟り、1年で警察官を辞める[23]。 その後、知人の誘いで日本消費者連盟の事務局メンバーになる。仕事にはやりがいを感じたものの、組織内の折り合いが悪く、とある会議内で罵倒交じりの口論をした際に、黙して語らない委員たちに落胆し、2年で辞めることになる[23]。 本人によると、声優になる決意をしたきっかけは「消費者連盟で上司を殴り飛ばし、解雇された後に安酒をかっくらって電車で帰る途中、シートで横になっていると上の棚に置いてあった新聞が顔に落ちてきた」こ