WebサイトのUI設計のアナロジーとして、建築家クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージについて考えてみたい。 ツリー構造とセミ・ラティス構造 まずはアレグザンダーの最初の気付きから。 長い年月にわたりともかく自然に出来上がった都市を<自然都市>、又デザイナーやプランナーによって慎重に計画された都市やその部分を<人工都市>と呼びます。(中略)今では多くの人々がなにか本質的なものが<人工都市>には欠けていると感じている。 クリストファー・アレグザンダー「都市はツリーではない」 アレグザンダーは人工都市と自然都市の差異、そして人工都市のあり方を考えた末に、引用元のタイトルでもある「都市はツリーではない」という結論に至る。そして人工都市をツリー構造として計画してしまう問題を次のように考察している。 我々がツリーを考えているときは、デザイナー、都市計画家、行政当局、開発業者だけに適合の
私が石山修武と初めて会ったのは、二〇〇〇年五月、ニューヨークで開催されたANYという会議であった。これはアイゼンマンや磯崎新を中心に、世紀末の一〇年間、毎年、世界の諸国で、哲学者などをまじえて行われた建築家の国際会議であったが、その最終回がグッゲンハイム美術館で開かれたのである。私はこの会議に常連のメンバーとして参加したけれども、少しもなじまなかった。なじもうとする気もなかった。いつも場違いな気がしていた。 建築には古代から二つの起源がある。一つは、住居である。もう一つは神殿・王宮のようなモニュメントである。偉い建築家というのは、後者にたずさわる人たちである。現在でも住居を建てている建築家も、やがて偉くなるとモニュメントを建てるようになる。ANYに集まっていたのは、だいたいそのようなタイプであり、さらに、それを難解そうな(私から見ると幼稚な)哲学的衣装で飾る人たちであった。そんなものが私に
隔離された場所で人はどう生きる? ―国という概念が消滅した世界で、子供たちはクローン技術を用いて作られ、女たちは何十人もの子供を育てる。そんな近未来が舞台の「形見」から始まる本書は、独立した短編集のようですが、読み進めるうち、滅亡に瀕した人類が、いくつかの集団に分かれて再起を目指す大きな物語であることがわかってきます。 大学で生物学を学んだので、進化について書かれた本を見つけるとつい手を伸ばしてしまいます。そのなかで、現代はグローバル化が進んで人々の交流も盛んなので遺伝子の多様性が生まれにくくなっている、進化が起きるためには個々の集団がもっと隔離されていなければならないという仮説を読みました。 それがこの物語が生まれたきっかけです。実際に隔離したら、人々はどうなるだろうと。各編でそれぞれの集団を書いているうちに、少しずつ物語が繋がっていきました。 ほかにも生物学の視点は、本書のところどころ
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