2014年6月12日のブックマーク (2件)

  • 技術者は構想・利益なき繁忙に陥っていないか 意味のない忙しさに…|超える技術|日経BizGate

    当に意味のある忙しさなのか 技術者はとにかく忙しい。技術開発競争に明け暮れて、目の前にある課題を一刻も早く解決しようとサービス残業も厭わず働きに働いている。上司に指示されているわけでもないのに、土日も自主的に出勤して仕事に没頭する。 そうした苦労の末にようやく開発した製品を出荷してそれで終わりかと思いきや、そうは問屋がおろさない。市場に出してから予期せぬ問題が発生する。それが技術上の問題であれば、何はさておき開発者自身が現場に出向いて問題解決にあたらなければならない。来であれば、技術サポート部隊に引き継ぐべき仕事であるが、技術の粋を集めた新製品では、開発者自身が現場に駆けつけないと埒があかない場合も多い。次の開発をかかえながら、現場のトラブルにも対応しなければならない技術者は、まさに体がいくつあっても足りないほどだ。 しかし、こうした忙しさは果たして当に意味のある忙しさなのであろうか

    技術者は構想・利益なき繁忙に陥っていないか 意味のない忙しさに…|超える技術|日経BizGate
    netoresama
    netoresama 2014/06/12
    身につまされる
  • 論理学は思考の「高地」トレーニング」である/ロジック・アズ・ブロックバスター

    論理学の良いところは、トレーニングの効果が絶大なところだ。 たとえれば、論理学は一種の「高地」トレーニングなので苦しいが、これによって思考の「心肺機能」がアップする。 思考が「息切れ」しにくくなる。そして「登坂力」が増す。 微細な違いに気付く力や、筋が混み入った話への感受性も高まる。 学術書の類や、日語とは思えない悪文を読むのに、きつい坂道を上るような苦しさを感じている人は、最もその効果を実感できるだろう。 しかし論理学を学ぶ人はあまり多くない。 独習は不可能ではない。 というより、自分で問題を解かないことにはどうにもならないので、習うにしろ、自分一人で取り組まなくてはならない時間が多い。 科学哲学者の内井惣七氏は、論理学の学習について、次のように言っている。 ・問題を山のように解かないと、論理学が身に付くはずがない。ぼーっと、を眺めてマスターできるのは、フォン・ノイマンみたいな悪魔だ

    論理学は思考の「高地」トレーニング」である/ロジック・アズ・ブロックバスター