2024年2月14日のブックマーク (3件)

  • 清原和博と渡辺智男。果たせなかった“約束”。(鈴木忠平)

    1985年、春のセンバツ準決勝。3年生となった清原和博と桑田真澄らを擁する優勝候補PL学園に初出場の高知・伊野商が挑んだ。伊野商のエース渡辺智男が4番・清原から3三振を奪うなどKKを完全に封じ、3-1で勝利したこの試合は、高校野球史に残る“ジャイアントキリング“として、いまなお語り継がれている。そして、その年の夏、そのままの勢いでセンバツ優勝を果たした伊野商とPL学園の再戦を誰もが待ち望んでいた――。 清原「次は打ったるから、絶対に甲子園に出てこい」 1985年の初夏、伊野商のエース渡辺智男のもとにメッセージが届いた。PL学園の4番清原和博からだった。 「次は打ったるから、絶対に甲子園に出てこい」 その年の春、センバツ準決勝で渡辺は清原から3三振を奪い、PL学園を倒した。無名の県立校がKK擁する横綱を破った。衝撃のニュースは全国を駆け巡り、そのまま初出場初優勝を成し遂げた伊野商と渡辺の名は

    清原和博と渡辺智男。果たせなかった“約束”。(鈴木忠平)
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    new-can 2024/02/14
  • 「短命で終わってもいい」 石毛宏典が「黄金時代の最強の年」と語る西武を支えた渡辺智男は投球フォームにこだわっていた

    石毛宏典が語る黄金時代の西武(10) 渡辺智男 後編 (前編:PL学園時代の清原和博から3奪三振 西武・渡辺智男の「真っすぐ」のすごさ>>) ルーキーイヤーから3年連続で2桁勝利を挙げるなど、西武黄金時代の後期に先発投手として活躍した渡辺智男(わたなべ・とみお)氏。石毛宏典氏がエピソードを語る後編では、渡辺氏の投球フォームに関する2人のやりとりなどを聞いた。 1990年の巨人との日シリーズ第3戦で完封勝利を挙げた渡辺智男 Photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る 【日シリーズに初先発で初完封】――渡辺さんはルーキーイヤーの1989年に10勝(7敗)、翌90年は13勝(7敗)、さらに翌91年には11勝(6敗)を挙げて最優秀防御率のタイトルを獲得しました。特に1990年は、石毛さんが「西武・黄金時代の中でも最強の年」と言うチームの一翼を担う存在だったと思いま

    「短命で終わってもいい」 石毛宏典が「黄金時代の最強の年」と語る西武を支えた渡辺智男は投球フォームにこだわっていた
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    new-can 2024/02/14
  • PL学園時代の清原和博から3奪三振 西武・渡辺智男の「真っすぐ」のすごさを石毛宏典が語った

    石毛宏典が語る黄金時代の西武(10) 渡辺智男 前編 (連載9:83試合で32塁打「これはすごい選手が来た」西武黄金期のレジェンド助っ人・デストラーデ>>) 1980年代から1990年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズ。同時期に在籍し、11度のリーグ優勝と8度の日一を達成したチームリーダーの石毛宏典氏が、当時のチームメイトたちを振り返る。 前回のオレステス・デストラーデ氏に続く10人目は、黄金時代後期に先発ローテーションの一角を担った渡辺智男(わたなべ・とみお)氏。前編では西武入団当時の印象、渡辺氏の「真っすぐ」のすごさを物語るエピソードなどを聞いた。 1989年に西武に入団し、先発ローテの一角を担った渡辺智男この記事に関連する写真を見る 【ある審判員が、渡辺久信や工藤公康よりも高く評価】――渡辺さんといえば、伊野商(高知)3年の1985年に、エースとして春のセンバツに出場(同校

    PL学園時代の清原和博から3奪三振 西武・渡辺智男の「真っすぐ」のすごさを石毛宏典が語った
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    new-can 2024/02/14