シャツ、スカート、下着を足元に脱ぎ捨て、素肌に水の柔らかさと光の屈折を感じて、音のない空間をどこまでも心の赴(おもむ)くままに進んでいきたい。水温が肌になじむにつれ、自分と世界の境界線が曖昧(あいまい)になり、体重も年齢も性別もその意味を失う。言葉を発しようとしたら、すべてあぶくになって高く高く昇り、白い彼方に滲(にじ)んでやがて消えていく。暑い季節は終わろうとしているのに、何故そんな風に思うのだろうか。 コースロープで区切られたように整然と並んだデスク、水面を思わせるしんとした薄青い無人の空間。塩素とインクのトナーのにおいも、何かを思い出しそうになる刺激臭という点で、非常によく似ている。誰にも邪魔されずに仕事をするため、一人になれる時間と場所を探したら、一日の大半を過ごしているこのオフィスに結局、行き着いた。自分のもっとも有能な面を発揮しなければいけない空間なのに、今なら意味不明なことを
その黒曜石の碑(ひ)は角が取れ、ところどころ剥(は)がれ落ち、刻まれた文字もまたかなり風化していたが、それでも肝心な部分は辛うじて読み取ることができた。 一九四三年九月二十九日、匪賊葉尊麟は此の地にて無辜の民五十六名を惨殺せり。内訳は男三十一人、女二十五人。もっとも被害甚大だったのは沙河庄で――(数行にわたって判読不能)――うち十八人が殺され、村長王克強一家は皆殺しの憂き目を見た。以後本件は沙河庄惨案と呼ばれるに至る。
女子の足には少々高すぎる段を上がる都度、わざと足を踏み鳴らす。顔料(がんりょう)の入った絵皿が盆の中でかたこと動き、ここ数日家内に満ちている梅の香が、その時ばかりは膠(にかわ)の匂いに紛れて消えた。 階段をこうもにぎやかに上るのは、二階間で絵を描く源左衛門(げんざえもん)への合図だ。なにせ家業を二人の弟に任せ、朝から晩まで自室で絵を描く兄は、ちょっと声をかけたぐらいではお志乃に気付いてくれない。敷居際で待ちぼうけを食らわぬよう、こうして物音を立てながら部屋に向かうのが、兄妹の長年の約束事であった。 京の春は冷えが厳しいが、今年は暦が改まった直後から、不思議に暖かな日が続いている。表店(おもてだな)の喧騒とは裏腹に、常に湿っぽい静謐の内にある「枡源(ますげん)」の店奥にも、うららかな陽が眩しいほど射しこんでいた。
掛け布団を頭までずり上げた健斗は、暗闇の中で大きなくしゃみをした。今年から、花粉症を発症した。六畳間のドアや通風口も閉めていたのに杉花粉は侵入し、身体に過剰な免疫反応を起こさせている。ヘッドボードのティッシュへ手を伸ばした健斗の視界に、再び白く薄暗い空間が映った。早朝だろうか。だが少し前に杖をつく音で目覚めた際も同じ光景だった。それともあれは昨日の朝の記憶か。健斗は断片的な記憶の時系列を正す。あれは間違いなく今日だ。時計を見ると、午前一一時半だった。 北向き六畳間の外に出ると、廊下をはさんだ向かいの部屋のドアは閉められていた。火曜だからデイサービスの日ではない。蛍光灯の明かりも一切なく、人気(ひとけ)は感じられなかった。玄関や風呂場の横を通り過ぎ、リビングへ入ったがそこにも人気はなかった。同じ空間にいるはずなのに、電気もつけず歩く時以外音もたてず、そこにいないように振る舞う祖父の辛気くさい
九月末だがこのあたりではまだ稲穂は刈りとられていない。国道の片側には田んぼが広がり、強い日を受けて全面がぼんやり輝いていた。道を挟んでその田んぼを見下ろす形の小さな山がある。山の縁に沿って道はカーブし、その陰に隠れた。さっきから車は一台も通らなかった。山の木陰を流れる小川も国道に沿って流れているが、元はこの川に沿って道がつくられたのだ。冷たい川の水に足を突っ込んで呆然としていた私の目がその時何を見ていたかなど、もう覚えていない。国道の路面のじりじり灼ける向こうで、田んぼの間の畦道で、埃か、小さな虫か、なにかがちらちら輝いているのが見えていたか。水のなかで波立ちに歪む自分の生白い足も見ていたか。水辺の土手の表面の黒く湿った土と葉も見ていたか。何よりそれらすべてと、初秋の澄んだ空気の上にあった、雲ひとつない空の濃い青色を思い出すが、その時私の頭上には背後の山を覆う木々の枝葉がせり出してきていて
女児が持っていたのは、赤い風車だった。二枚の折り紙を重ね合わせて作った、八枚羽根の花風車。通りに風はなかったが、女児が歩くから、その歩みに合わせて風車も廻った。青空の下に廻っていた。赤い羽根の立てる音は、足音よりもくっきりと響く。凜太(りんた)は前を向いて、再び石畳の歩道を歩き始めるが、網膜には未だ青空の花風車が残っていて、少しばかり胸が疼く。自分の胸に棲んでいるあの糸屑が、また悪戯をしている。心神にも影響を及ぼすという、透明な糸屑。 十二月も半ばを過ぎていたが、尾根から午前中の眩い陽光が射し、街道には春の長閑さがあった。その百米ほどの平坦な街道には、民家や煙草屋や文具店が建ち並んでいる。途中、背の高い一本の唐松がある。その唐松のものだろう松笠が、ときに路傍に転がっている。忘れられたように転がっている。彼は意味もなくその一つを拾い上げて、袂に納めた。 見慣れた風景だったが、その道を歩いてみ
大した会話はしなかった。帝国ホテルの立食パーティでばったり顔を合わせたけれど、柴田さんはそらした。シャツの袖から白い手首が覗いていた。
南アフリカ共和国南西部、スヴァルト准尉はいつも通りの通勤ルートを車で走らせ、やってきた。朝五時、ケープタウンから北東に五十キロ離れたパールの町はまだ目覚めた直後、昇り始めた陽が草むらを白い息で照らし出したころあいで、運転席から見えるドラケンスバーグ(竜の山々)山脈の峰々も、眠ったまま微動だにしない竜の背中に見える。道が空いているのはいつも通り、駐車場のいつもと同じ場所、刑務所職員用エリアの隅に車を止めた。 これもいつも通りに通用口へ進むと、前に見慣れぬ二人組が歩いていた。今日のために召集された応援部隊だろうかとスヴァルト准尉は見当をつけたが、しばらくするとそのうちの一人が、もう一人を殴った。拳を火打石みたいな鋭さで顎に打ちつけたため、スヴァルト准尉は何が起きたのかすぐには見えなかった。効果音も歓声もなく、ただ静かに、紙の人形が倒れるかのように男が横たわった。
大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。沿道の脇にある小さな空間に、裏返しにされた黄色いビールケースがいくつか並べられ、その上にベニヤ板を数枚重ねただけの簡易な舞台の上で、僕達は花火大会の会場を目指し歩いて行く人達に向けて漫才を披露していた。 中央のスタンドマイクは、漫才専用のものではなく、横からの音はほとんど拾わないため、僕と相方の山下は互いにマイクを頬張るかのように顔を近づけ唾を飛ばし合っていたが、肝心な客は立ちどまることなく花火の観覧場所へと流れて行った。人々の無数の微笑みは僕達に向けられたものではない。祭りのお囃子が常軌を逸するほど激しくて、僕達の声を正確に聞き取れるのは、おそらくマイクを中心に半径一メートルくらいだろうから、僕達は最低でも三
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