映画少々遅れましたが、『涼宮ハルヒの消失』を観てきました。綿密に作られた、“映画”になってますね。驚いた。公開前から「消失」への期待は非常に高かったのですけれど、去年放映された「エンドレスエイト」との関連性から考えると不安でもあった。以前、何度も書いたエンドレスエイト絡みのエントリーを中で、少々強引に結びつけるなら、前々からささやかれている「消失」への伏線にも「エンドレスエイト」の構造は生きてくる。諦めが人を殺す、では諦め続ける中、諦めない何かが出てきたら。当然、生まれるカタルシスは大きくなり、そのカタルシスを向かわせる先が「消失」だとすれば。みなまで言うつもりはないのだけど、生唾を呑み込むかのような、長門有希のサムシングがあると信じたい。と、記した都合上、“長門有希のサムシング”が感じられない肩透かしの「消失」であったらなら、壮大に馬鹿を見ることになっていた。極論になってしまうのだけど、