<日本が好きで日本に住んでいる外国人が、実は共通して経験している「小さな生きづらさ」の積み重ねと悲しい思い> 私は年末年始の休みを都内で静かに過ごし、毎日長めの散歩をしていた。 散歩は私の趣味で、東京は最適な場所だ。最新の都市開発地や高層ビルの間に、古い民家や商店、神社仏閣がポツンと残っていたりして面白い。 そうやって散歩をしていると、外国人の住民とすれ違うことがある。そういうときはほんの一瞬短い挨拶をする。言葉は交わさず立ち止まりもしない、歩みも緩めない。すれ違いざまにただ目線を合わせて小さくニコッとしたり、軽くうなずいたりするだけだ。 一緒に散歩している妻は毎回「ソレ何なの」とあきれているが、あの0.5秒ほどの挨拶ともいえない挨拶には、外国人同士の互いへの同情と同調がたくさん込められている。短く言えば「ここ(日本)に住むといろいろあるよね」という感情の共有である。 外国人や外国暮らしが
![外国人同士が「目配せ」する、日本人には言いづらい「本音」|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cdfdc360f7bc3761575dc469a1216fdcd91b9c09/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.newsweekjapan.jp%2Ftokyoeye%2Fassets_c%2F2022%2F01%2F220118P70_TKE_01-thumb-720x480-343946.jpg)