もうすぐ平成が終わる。平成とともにプロレス人生を歩んできたプロレスラー、蝶野正洋が平成のプロレスを振り返った。今回は新日本プロレスが危機的状況を迎えていた2002(平成14)年、北海道立総合体育センターで発生した衝撃のマイク合戦“猪木問答”について取り上げる。 【写真】ブッチャー、ハンセン、ドリ-・ファンク…レジェンドたちが勢揃い夢の一夜 ◇ ◇ 今回は“猪木問答”と呼ばれる出来事について話そう。 それが起こったのは02年2月1日の新日本プロレス札幌大会。当時の新日本は、武藤敬司さんが小島聡選手、ケンドー・カシン選手、多くの社員とともに全日本プロレス入りするために退団した直後で、その数カ月後に長州力さんが退団したりと、みんな沈みゆく船から飛び出そうとしていて、いつつぶれてもおかしくない状態だった。要は、実質的なオーナーのアントニオ猪木さんが格闘技路線を進めることに、みんな嫌気が差して反猪
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