陳 禅(ちん ぜん、生年不詳 - 126年)は、後漢の官僚。字は紀山。本貫は巴郡安漢県。 略歴[編集] 郡に仕官して功曹となり、善人を推挙して悪人をしりぞけたため、郡内で恐れられた。孝廉に察挙されて、州に治中従事として召し出された。ときに刺史が収賄で逮捕され、陳禅も捕らえられて糾問されたが、かれは財産らしいものがなく、葬儀の道具を持っていただけであった。拷問を加えられたものの、その態度は落ち着いていて、供述に変化がなかったため、とうとう釈放された。車騎将軍の鄧騭が陳禅の名声を聞いて召し出し、茂才に推挙した。漢中郡の少数民族たちが反乱を起こすと、陳禅は漢中太守に任じられた。少数民族たちは陳禅の名声を聞き知っていたことから、まもなく降服した。陳禅は左馮翊に転じ、入朝して諫議大夫に任じられた。 120年(永寧元年)、西南夷の撣国王が楽士と奇術師を安帝に献上した。奇術師は火を吐くことができ、自らの