今日の他人(ひと)言(2006年1月26日)-図書館の「ありがとうございます」論争 一向に融ける気配の無い凍結した道路を見つめて思ふ。 通る人が滑らないようにと雪かきしたり・・・でも本当に感謝されているのかなぁ?なんて。 さて、 いらっしゃいませ。 いつもお越しいただき、また貴重なコメント、トラックバックを賜り誠にありがとうございます。 さて、図書館の窓口での挨拶、「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」は違和感があるとの論議がありました。ある方からの指摘では、お金をもらっている商店とは違うのだからおかしいとの事。そして、 「いらっしゃいませ」→「こんにちは」又は「おはようございます」など 「ありがとうございました」→「ご苦労様です」など に改めよとの持論でした。 ここで、図書館の窓口における「ありがとうございます」の意味について考えてみたいのです。この言葉は紛れも無く
以前、田崎英明さんと話していて興味を持った話題に「どうしてSFに携帯電話のイメージが欠落していたのか?」というものがある。80〜90年代のSFやアニメではテレビ電話に類するイメージは盛んに出てくるが、携帯電話はまったくと言って良いほど出てこない。それはどうしてか、という問題だ。 もちろんテクノロジー的には携帯電話はトランシーバーの延長であり、それはSFにつきものである(腕時計に向かって喋るとか)。だが、街や駅で多くの人が歩きながら携帯で話をしている、という現代日本の日常生活の情景は、どんなSFにもアニメにも出てこない。つまり、今日のような携帯電話文化は、SF的には予測不可能だったということになる。なぜか? この問題に興味を持って以来、いろんな人と会う度に話題にしてきたが、そのなかから何となくヒントになることが浮かんできた。 それは、携帯電話によるコミュニケーションはそもそも人類に必要がなか
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