諷刺画に端を発するイスラム教徒の「暴動」が報じられているが、これを文明の衝突とか、長年にわたる宗教対立があたかも主要な問題であるかのように考えることは、まったく問題の本質を逸している。パレスティナ問題をネグレクトして寛容を説くことは、欺瞞以外の何ものでもない。また、何千年にわたる根深い対立が問題なのだから、解決は難しそうだ、と考えてしまう宿命論的諦念も、同断である。ここから、「イスラム教徒の度し難い非寛容」に眉をひそめるといった態度が、容易に出てくることになろう。せいぜい、イギリスのように「イスラム教徒に理解を示して、諷刺画の掲載を自粛する」といった、いかにもイギリスらしい偽善的な態度を取ることが、あたかも「知的で洗練された態度」だとされるくらいのことである。 イスラム教徒の「暴動」を見て、彼らの非寛容を問題にする連中は、故意によるか無知によるかはともかく、シオニストのメディア戦略に乗せら
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