私が在籍していたドイツ文学なんかと違い、心理学は常に人気が高い。今の心理学の人気を支えるものの一つとして「自分探し」ブームがあげられるだろう。本当の自分とはなんなのか、自分が本当に望んでいるのか、自分らしさとはなんなのか、自分が本当にやりたいことは何なのかを探求することが巷ではやってる(もちろん心理学がそういったものだけを対象としたものではないことを知ってはいる)。村上龍の「13歳のハローワーク」もそれにうまく便乗したものといえよう。 しかしながら思うにこういった「自分」は他者の存在を前提としない、ひどい場合は他者の存在を無視、拒絶したニセモノの、弱者の「自分」でしかないのではないだろうか。フリーターたちがいうのところの「自分が本当にしたいこと」で使われる自分というものはたいていの場合そういった「自分」なのだろう。むろんそうでないのもいるのだろうけど。真の自分や自分らしさとは他者と共有可能