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人と資料に関するnishiogikuchoのブックマーク (4)

  • Borderless Border's::終わらない戦争の中で生きる人

    国境のそばで60年暮らす日人がいます。 戦争が終わっても帰らなかったその人は 今でもずっと戦いの近くで驚くほど穏やかに暮らします。 「近くに越してきました。タイの生活は長いと聞きますがいかがですか?」 「ビルマですよ・・・私は。 向こう側では居住許可が下りなくて・・・こっちに来たんです。」 中野弥一郎さん。 大正7年生まれ。新潟県出身。来月で90歳を迎える。 21歳時出兵し、中国で1年半戦闘生活をした。 1年半で帰国ができると誰ともなく話していた。 上海の駐屯地で今まで着ていた厚手の軍服に変わって薄手のシャツが渡される。 「南方に送られるんだ・・・・」 着いた場所はシンガーポール。マレーシア、タイを北上しビルマへ。 そしてインパールへ進軍した。 撤退。ザガインでの激しい戦闘。 「敵さん」は大砲を持ち味方は機関銃のみだった。 頭上に飛ぶのは敵機ばかり。べ物はチョコレートなど「敵さん」のも

    nishiogikucho
    nishiogikucho 2009/06/28
    戦後60年ミャンマーに住み続ける元兵士の話
  • http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/

    nishiogikucho
    nishiogikucho 2008/02/15
    遺書とか本とか丸々アップ?
  • 【MOVIE】5年間、義足の代わりにバスケットボールをつけていた少女:ザイーガ

    ニュルを連続再生したいというご要望にお応えして、ニュル専用カテゴリーを作ってみました。シャア専用みたいな感覚で、ニュル専用をお使いいただけるとなんかよくわかんないけど3倍なのだと思います。 【ニュル専用カテゴリーはここから】 【ニュル専用ランキングはここから】 中国のチエンで、バスケットボール少女として知られているこの少女、2000年に義足を取り付けるまで、義足の代わりにバスケットボールをつけてすごしていたそうです。彼女は3歳の時事故にあい、両足を失ったのですが、家が貧しかったために満足な治療することができず、彼女の両親は考え抜いた末、バスケットボールを彼女の下半身に取り付けることにしました。バスケットボールの弾力と弾み方が、手を使いながらの走行を補助してくれると思ったのです。 このアイデアは功を奏し、彼女は一人で家と学校を往復することができるようになりました。そして5年後、彼女

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