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批評に関するnishiogikuchoのブックマーク (5)

  • 極端大仏率 Returns! :: 疑似理解:東京大学のアルバートアイラー

    疑似理解:東京大学のアルバートアイラー 最近話題の「東京大学のアルバートアイラー」というを読んだ。これは東京大学でのジャズの歴史に関する講義をまとめたものである。行われた授業そのもののタイトルは「十二音平均律 → バークリーメソッド → MIDIを経由する近・現代商業音楽史」というものらしいが,それをにするときに「東京大学のアルバートアイラー」というタイトルにしたのは,商業的にはなかなか秀逸。それはともかくとして,その原タイトル通り,書の主張はジャズの歴史を理解するには「平均律,バークリーメソッド,MIDI」というのが重要なキーワードであるということだ。 このの前書きには「ジャズ史に限らず,およそ人間が編纂する歴史は総て偽史である」という一文がある。つまり「正しい歴史」なんて決定版はなくて,編纂者のバイアスが必ず入る,ということだと思うが,それは正しいだろう。しかし,絶対に正しい歴

  • http://d.hatena.ne.jp/Tigerlily/20071128

    nishiogikucho
    nishiogikucho 2007/11/29
    ここに大事なことが書かれている
  • ケータイ小説を笑うまえに。 - Something Orange

    題に入るまえに、一篇の詩について話しておきたい。北村薫の『詩歌の待ち伏せ』に掲載されていた詩である。 詩歌の待ち伏せ 1 (文春文庫) 作者: 北村薫出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2006/02/10メディア: 文庫この商品を含むブログ (20件) を見る 詩歌の待ち伏せ 2 (文春文庫) 作者: 北村薫出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2006/03/10メディア: 文庫この商品を含むブログ (13件) を見る わずか3行。 れ ママ ここに カンガルーがいるよ 詩といっても、まだ字を知らない3歳の子供が口にした言葉を親が書きとめたものである。北村は、この「詩」を、雑誌『VOW』で目にしたらしい。 ご存知の方も多いと思う。投稿者が身の回りで見つけた奇妙なものを掲載しているだ。そのの、「詩人の血」と題するコーナーに、この詩は掲載されていた。 もともとは、読売新聞に掲載され

    ケータイ小説を笑うまえに。 - Something Orange
    nishiogikucho
    nishiogikucho 2007/11/28
    れれれれれれれれれれれれ←カンガルーの群れ(あ、最後についてきた!)
  • SueMe SubLog 急性ストレス障害と神経衰弱と抑うつ状態

    http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200708080082.html 俺は過激な野鳥保護活動家でもなんでもないけど、コアジサシだけは別だ。いかなる理由があろうとも、コアジサシは絶対殺しちゃいかん。一度でもコアジサシのヒナを見たら、誰でもそう思うようになるって。 http://d.hatena.ne.jp/doublet/20070806#p1 まさかid:doubletさんが女子カメラを買うとは思わなかったし、面白かったという感想を残しているのも意外だった。ここからは全然関係ない私信ですけど、S浦はぜひともid:doubletさんの写真を逐一見て、マクロ撮影というものの奥の深さや厳しさを勉強すべきだ。マクロレンズさえ買えば撮れると思ったら大間違いだぞ。いや、まずマクロレンズを買わないと話にもならないけどな。 http://www.muromin.mnw

    SueMe SubLog 急性ストレス障害と神経衰弱と抑うつ状態
    nishiogikucho
    nishiogikucho 2007/08/09
    ウチの上司は「俺だってモンゴル帰りたいよ」と言っていた
  • 吉村光弘への返信

    言おうかどうしようかまよったけど、やはり書こう。 ユリイカの吉村光弘さんの文章とそのブログになんだかひっかかっている。「徹底的な他者=外部」などというあまりに観念的すぎて、わたしには全然意味のわからない言葉で批評が行われていること、ものすごく疑問というか、正直な感情を言えばそういう紋切り型の批評が復活してきていて、読み手がそういうものに免疫がないのだとしたらとても怖いことだと思っている。というのは、そういうことに疑問を感じずに彼の文章を杉拓の非常に注意深く書かれた文章と同列に語ってる風情のブログをいくつか見つけたからだ。「徹底的な他者=外部」なんて今のところわたしは出会ったことすらないし、今後も戦争でもおこらないかぎり出会うことはないだろう。そんな究極の注釈なしには使うことが出来ないような紋切り型の言葉をいきなり使っていいのだろうか? 別に「徹底的な他者=外部」のような極端な言葉の使い方

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