これはichinicsさんの「言語と自由意志」というエントリの冒頭からヒントを得たものです。 例を挙げて説明します。休日に、さて出かけよう、と思う。友だちとどこかへ遊びに行こうか、それとも1人で映画でも見ようか。考えて、映画にする。で、メッチャつまらない。1番、「あーあ、友だちと遊んでたほうが良かったなぁ」。まぁ、帰るか、と思うと急にすっげー土砂降りでズブ濡れに。2番、「あーあ、こんなじゃ出かけなければよかった…」 で、ぼくの言いたいのは、1番はアリかも知れないけど2番はナシだよな、ということです。この人は、家にいた時点では「今日は出かけない」ということを一度も考えてないわけです。その選択肢は、存在しなかった。しかし、「出かけなければよかった」と、言葉を使うことによって、未来の時点から語れてしまう。そのせいで、そういう行動を取ることもできたはずなのだ、というように錯覚してしまうのです。でも