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2015年4月6日のブックマーク (2件)

  • インターネットで発達した共感文化「わかる」の危うさ

    共感できるかどうかを重視する風潮を感じるこの頃。 「わかる」の危うさについて、捕捉できたツイートをまとめました。 (意見をある程度個人ごとに並べているので時系列ばらばらです。)

    インターネットで発達した共感文化「わかる」の危うさ
    niwakano18124
    niwakano18124 2015/04/06
    共感って一種の錯覚なのか、他人の中に「もうひとりの自分」を発見する的な・・・自分にとってはあまりに一瞬のイベントだからそこ執着することができないっぽい。
  • 私がツイッターをやめた理由

    相手によって、見せたい自分が違うからである。 ネット上の知り合いなんて、相手によってそれぞれ違う自分の中の20%を、 まるで80%であるかのように見せて付き合うくらいが一番ちょうどよく楽しいと思っていた。 ホーム画面に蓄積されていく、Aさんに対する自分、Bさんに対する自分、Cさんに対する自分…… その複合体が、ぴったり「イコールの自分」になるように振る舞うのって、なんだか息苦しい。 そういうのはネットに求めていないのだ。 けれど、そうしないと、Aさんが、Bさんが、Cさんが私のホーム画面を見たときに きっと「あれっ?」って思ってしまう。 そしてそれで腹を立てたり、切なくなったり、呆れたりする。 やがて「あれっ?」は「おいっ!」になって帰ってくる。 そういうのに、なんだか疲れてしまった。 そんなのは現実でもうお腹いっぱいなのだ。 100%好きになれる人も、100%見せたい人も、100%見せて欲

    私がツイッターをやめた理由
    niwakano18124
    niwakano18124 2015/04/06
    相手が自分をどう見ているか・・・自分の期待する像と相手の思い描く像はどうしたって食い違うのでは。ネットでも現実でも同じことだと思います。