小野田正欣(おのだ まさよし)さん1929年生まれ、1951〜53年の3年間、朝鮮戦争の間、沖縄に仕事で米軍基地強化のため滞在していました。仕事は、今はない大日本土木という建設会社でした。当時、特殊業務のため本土の給料の2倍をもらっていた小野田さんは、遊びに使ってしまってもしょうがないと、沖縄の写真を撮ることにしました。まず、ツァイスのセミイコンタ(6×4.5cm判)を購入し、黒白フィルムで那覇周辺を撮影し、次にライカIIIf(ズマール5cmF2付き)を購入して黒白とカラーフィルムで撮影しました。(右上:小野田正欣さん。2010.01.16) カラーフィルムはというと、その時代は大変貴重なもので、感度10の“コダクローム”でした。もちろん当時のコダクロームは一般写真材料店で購入できるわけではなく、基地内の米人に頼んでドルで求めたそうです。また、現像も当時は日本ではできなく、ハワイ送りだった