ブックマーク / toronei.hatenadiary.com (87)

  • 「評論問題」まとめリンク - toroneiのブログ

    自分の過去記事とか、皆さんが書いてくれた関連記事とかが、未整理になって自分の中でも混乱してきたので、整理しておきます。競馬絡みの話題も混ぜているのは、問題の質が似た事件と僕が考えているからです。 あとここで僕が最初にこの件について考えたのは、もう五年か六年ぐらい前なんですが、関西の情報番組で数人の芸人のパネラーさんが、政治とか経済とか野球とかオリンピックとかドラマとかの話を沢山していて、それこそ評論家みたいなことも言っていた後で、同じ番組で「お笑いの舞台に立ったことない、評論家に物言われるのは腹が立つ」という話をしだしたときでした。「嫌じゃあ、今まで話してきたことは何なのよ!!(笑)」とテレビの前で突っ込んでから、ずっとこのことは考えていたことでしたし、自分がこういったブログを書くようになって、色んな反応がある中でさらに考えることが多かったので、ようやくこのことを掘り下げて書く機会があっ

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  • まあそもそもの話 : 〜ものかきの繰り言2007〜 - toroneiのブログ

    これに付け加える話は、何も僕はないです。僕の言いたくても言えなかったこと、思い付かなかったことも全て言ってくれています。特にプロとアマチュアの違い論に関しては、よくこれを言い切ってくれたと思います。プロを批判したアマチュアに、アマチュアの人がプロと同等の責任をアマチュアに突き付けているのは、僕は滑稽に思っていましたが、それを見事に言い切ってくれたと思います。大抵そういうことをする連中って、この文章の中にあるような「言っていい事と悪い事の区別」が付いていない連中が多いですしね。 この辺りの話を集約する時に「愛のある/なし」という表現になってしまいがちなのかと思うのですが、もう少しシンプルに、「人間として最低限の節度がある/なし」という事で良いと思うのですよね。愛は無いけど体系的な話をしたくなる事ってありますし。 まあそもそもの話 : 〜ものかきの繰り言2007〜 これはよく言い切ってくれた、

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  • まあ確かに「書く側の義務」ってのはありますよね。 : ゾミ夫 - toroneiのブログ

    評論権は万人に与えられている……が、 : NOT FOUND−演芸雑想ノート− 基的に僕が言いたいことは、全部先に新田さんが指摘しちゃってるし、更に僕なら言ったであろうことも、それに対する回答として菅谷さんが「これは僕が逃げてるだけ、みたいなところがあります。」と、自分で言ってしまってるから、特に何も言うようなことがない気がするんですが(笑)、補足みたいな感じで話していきます。 もう既に新田さんが言ってくれている部分ですが、僕は菅屋さんの意見を先に読んだときには、「そんなこといったら、お笑いとかだけでなく、全てにおいて時評的なものは何も出来なくなるよ」と感じました、ある時期のあるものだけを書くときに、それが後で間違いだと分かったらどうするか? ということですが、それが何の問題があるんでしょうか? 僕も例えば、昔は面白いと思っていた物が、時が経って面白くないと感じるときがあったり、その逆も

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  • 「お笑い評論はお笑いサポーターではない」 - toroneiのブログ

    なんかいろいろと物議を醸し出してるみたいなのですが : 一汁一菜絵日記帳 「愛」問題 : 雑じわる島宇宙 「検索ちゃん」動画問題は、発端の僕やにづかさんは、あれをインターフェースにして前々から語りたかったことを、語り出すきっかけにさせて頂いたという所があって、にづかさんもあの三人を特別に責めるつもりは、そんなにないと思うんですけどね、最近のブログとかでお笑い語りしている人たちは、芸人寄りで考える人が多いから違和感があったかも知れないですが。 ただここに来てもう一つ思ったのは、「対象に愛がなかったら批評してはいけないのか?」とか「愛というのは、どこに付随する物なのか?」というのもあって、後者の方を先に説明すると、例えば「ゲームは愛してるけど、FFは愛していない」という人がRPG論を語るときに、FFのことを書いてはいけないということは、別にないんじゃないか? ということですよね。例えばお笑い全

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  • 他人の自由を否定するものは、自ら自由を受けるに値しない : タケルンバ卿日記 - toroneiのブログ

    僕はこれまであえて“表現の自由”という問題には、この「お笑い評論は可能か?」問題に対して、絡めてこなかったんですが、「あらゆる表現は人の勝手であり、その受け取り方も人の勝手である」っていうのは、“表現の自由”という問題に対する、質を凄い分かりやすく表していると思います。 表現というのはあらゆる形のあって、それが実製作に行く人もいれば、研究分析に行く人もいれば、印象評論にいく人もいれば、まあ言い捨ての感想になる人もいるし、それをプロでやる人もいれば、アマチュアでやる人もいるし、一回限りの人もいる、それは等しく全て表現であって、面白い面白くないとか、正しいか間違っているかとか、それは評価に繋がっても、やっていい悪いには繋がるべきではないですよね。 ヤンタンで明石家さんまが、週刊誌やワイドショーの取材に対する不満や文句を物凄い熱く語った後に、「でもああいう表現の自由が認められているから、俺たち

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  • 2007-05-05

    足跡 とんねるず 秋元康 見岳章 ポニーキャニオン 1994-06-17 by G-Tools 「天」のラストの延々と赤木の安楽死の話は凄い、名作というかあんな作者の死生観とか美学とかを、生の状態でマンガで見せられるなんていうのは、もう他にはあり得ないと思うよ、しかも麻雀劇画雑誌に連載されている麻雀漫画なのに、単行三巻分も麻雀してないという凄い話で、よく編集ももOK出したと思うし、あと「天」ってタイトルで天が主人公の筈なのに、赤木の方がやっぱりキャラ立ってるし、狂言回しでストーリー語っていくのもひろゆきだし、最後の章武は主人公だからと天にやらせたけどやっぱり盛り上がらなくて、それを単行の最終巻の巻末で、延々と言い訳しているという、もうとにかく作品も凄いけど、連載とか単行で考えても凄い作品です。 でも「天」と「アカギ」は麻雀知らないからと読んでいない人多いけど、それは絶対にもったいない

    2007-05-05
  • 「爆笑オンエアバトル」4月6日放送分 - toroneiのブログ

    とりあえず流石にネタ中にはなかったけど、トーク中にテロップが出る演出にはビックリ、NHKなのにー。あとスペースラジオの玉流す時をやってたけど、ほとんど玉が流れる音が鳴っていなかった状態を、放送してやるなよと思った。同じオフエアのポテト少年団の時も、それなりに玉が流れる音はしていたのに。 イワイガワ コント「結婚披露宴」 基的にこの人たちには、あんまり填れないんだけど、後半の盛り上がりは笑いました。 天津 漫才「寿司オタク当は今日は天津の話だけすれば良いやなんですが、これで初オンエアというのは、対戦相手に恵まれたと言うべき所なんでしょうね、もうみんな散々言ってるけど、これは「オタク漫才」じゃなくて、完全に「ダジャレ漫才」ですよね、Wヤングとかがやっていた例の奴でありね、極めて古典的な道具立てです。それをオタクということを入口にしてやる意味合いが全く分からない、これなら最初から「僕、寿

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