2009年9月17日のブックマーク (1件)

  • 残念だが、それが真実だろうな。 けれど、本当に恐ろしいのは、 嫌ってい..

    残念だが、それが真実だろうな。 けれど、当に恐ろしいのは、 嫌っている、もしくは多数に嫌われている人間に対して「死ね」と思っている事、そのものよりも、 そういう人間に対して「死ね」と思う、そして口にする、という事を、 大した問題じゃないし、そう深い意味もないよ、と気で思っている人間が結構な数いる、という事だ。 極端な話をすると「ナイフで一寸刻みにしたいというような能動的な殺意を向け」られるのは、まだマシだ。 それは能動的に「自分が」「嫌いだから」「殺したい」という衝動なのだから。 けれど、多くの「嫌っている人間=死ね」は違う。 自分の手や責任と、なんら関わりのない場所で「自分以外の人間の責任や理由によって死ね」と積極的に願っている。 そこには自分自身が「死ね」と口にし、思う事への責任感さえも微塵もない。 虐めがなくならないのは、恐らくこうした”自分は第三者”という人間が原因だ。 虐める

    残念だが、それが真実だろうな。 けれど、本当に恐ろしいのは、 嫌ってい..
    njamota
    njamota 2009/09/17
    「嫌われ者の人間は、なんら主体性のない「死ね」という言葉や感情に常に晒されている」「そして、それは本気なのだ」