元記事読んで面白かったので乗っかる。 この教授を叩いている人は、この教授に嫌悪感を抱いている。 面白い事を言うおっさんだなあ、なるほどなあ、とはならない。 これは自分の信じる宗教を否定された人の反応と同じ。 彼ら(教授を叩いてる人)がどのような宗教を信じているかというと、自分の信仰や教義に無自覚でなければならない、っていう宗教があると思うんだけど、これって宗教的にはすごい所にいってると思う。もしかしたら宗教の本来のあるべき姿なのかも、目指すべきものなのかもしれないとか。ただ、こういった、宗教に対する無自覚性が良いのか悪いのか、っていう問題はある。意図的に無自覚になったわけではなく、いつのまにか無自覚になった、言葉とその意味が消失して、元記事に書いてあるように感じる雰囲気だけが残った。 (個人的には、言葉が無くなった大きな理由は言葉に翻弄された第二次大戦とその後だったんじゃないかと思う。)