2015年8月2日のブックマーク (3件)

  • 【HND-東京】多分、本当の充足感は他人の承認を必要としない。 - いばや通信

    東京での日々を過ごしている。ひとりになる時間が増えると、余計なことを考えたり、最近では「生命」について考えることも増えてきた。生きているということに思いを巡らせると、これほど不思議なことはないし、これほどやばいこともないという気持ちになる。最近思うことあれこれをまとめます。 1・高過ぎるテンションには嘘が混ざる。 先日、長野県で「私も二ヶ月前から坂爪さんと同じ家を持たない生活をしていて、所持金ゼロの状態からヒッチハイクで日全国を巡っているのですが、様々な人の優しさでいまも生きてます!」と話す女性と出会った。一目見た時に、多分、この人は物凄い無理をしているんだろうなあと感じた。— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 8月 2 移動の多い生活をしているために、結果的に、様々なジャンルの人達と出会う機会が増えている。高過ぎるテンションには嘘が混ざる。そのように感じることが

    【HND-東京】多分、本当の充足感は他人の承認を必要としない。 - いばや通信
    njamota
    njamota 2015/08/02
    托鉢というのは生きるための努力を放棄することだと思う。自力で生きない、自分の生死を自分でコントロールしようとしない、他者に委ねてしまう。そうやって死ぬ恐怖から解放される。制御不能な死という事実の受容。
  • 書評:「英語と運命」 中津燎子・著 | タイム・コンサルタントの日誌から

    英語と運命」 中津燎子 (Amazon) まことに面白くてインパクトの強い、しかし、ある意味で不思議なである。 著者・中津燎子氏の最初の「なんで英語やるの?」(1974)は、わたしが若い頃読んで、最も影響を受けたの一つであった。出版された時、日英語教育界に与えた衝撃の大きさは、今ではちょっと想像がつきにくいほどだ(大宅壮一賞を受賞した)。また、この人の「こども・外国・外国語」 (1979)は、やや目立ちにくいが、最良の作品だと思う。日社会における、帰国子女の知られざる困難について、はじめて具体的に記述した、深く胸を打つノンフィクションであった。 書はその、大正15年生まれの著者の、78歳の時の著作である。「つきあい続けて日が暮れて」というちょっと奇妙な副題が示すとおり、これは日語と英語という二つの文化のギャップと摩擦についての論考であるのと同時に、著者の自伝としての色彩も

    書評:「英語と運命」 中津燎子・著 | タイム・コンサルタントの日誌から
    njamota
    njamota 2015/08/02
    隠微な差別を自覚していない。すべては無意識に行われており、意識と乖離している/意見と感想がつねに強すぎる「感情」で結ばれ…その事を全く自覚できない/自分の身体を意識(対象化・客観視)することができない
  • 人間に新たな感覚を作り出すことは可能か?

    David Eagleman / 青木靖 訳 2015年3月 (TED2015) 私たちの体はとても小さなものからできていて、すごく大きな宇宙の中にいるわけですが、そのようなスケールの世界を私たちはあまり上手く把握できません。私たちの脳は、そういうスケールで世界を理解するようには進化して来なかったからです。私たちの認識はむしろ真ん中のほんの薄い領域に捕らわれています。さらにおかしなことに、私たちが自分の居場所と思っているその薄い領域においてすら、私たちは起きていることの多くを見てはいないのです。 たとえば世界の色を例に取って見ましょう。これは光波で、物に反射した電磁波が目の後方にある専用の受容体に当たることで認識されますが、私たちはすべての波長を見ているわけではありません。実際私たちが見ているのは、全体のほんの10兆分の1にすぎません。だから電波やマイクロ波やX線やガンマ線が今まさに体を通

    人間に新たな感覚を作り出すことは可能か?
    njamota
    njamota 2015/08/02
    脳の扱っている情報は電気化学的信号で、それがどの感覚器から来たかに意味はない。脳はそれをどう使うかを見出す力があるから、新しい感覚器を使いこなすことができる。感覚追加。という話。環世界Umwelt