2017年11月18日のブックマーク (1件)

  • 異常者として生きるということ - Letter from Kyoto

    子供の頃からずっと、変人として扱われ育った。日語がわかっても、周りの人が言っていることの意味がよくわからなかった。ルールや常識というのも理解できなかった。ましてや共感、協調というのは皆無に等しい。そういう事が生まれてからずっと続いた。社会人になってからも「今まで会った中で一番変な人」という風に言われたことをよく覚えている。僕に対して「変じゃないよ」と言う人は今まで一人もいなかった。 いつでもどこでもずっと独りだった。自分の言っていることは常に相手に誤解され続けた。誤解がなかったとしても、異常だということで怒られたり、怖がられたり、驚かれることが多かった。人と自分との溝は深く、壁は高く、親がいようと、親類や友達がいようと、ある意味で天涯孤独だった。子供の頃は、当然ながら自分が普通であり当たり前であり、僕が言っていることは正論で、何も間違っていなければ変わってもいないと信じていたから、全く誰

    異常者として生きるということ - Letter from Kyoto
    njamota
    njamota 2017/11/18
    誰かが誰かに受け入れられるのは、理解されるのとは全然別のことだと思う。「人と共感し、協調し合える人たち」そんなの、本当は気のせいだよ。当人達がそうだと思いこんでいるだけだ。受容は理解とは別の世界だ。