2019年12月23日のブックマーク (2件)

  • クリスマス・メッセージ:名前を持つ存在として | タイム・コンサルタントの日誌から

    少し前のことだが、ある打合せで、システム利用者のマスタをどう設計するか、の議論になった。個人を特定するために、まず各人にユニークなキーとなるIDを振る。それから主要な属性を定義していく訳だ。当然最初に来るのは、『氏名』だろう。 ところで、氏名という属性を格納するために、最初出てきた案は、たしか「名字」と「名前」の2つのフィールドを用意し、それぞれに読み仮名のフィールドを付け加える、というものだった。まあ、普通の日人が考えると、こうなるだろう。 しかし、ユーザの中には結構な数の外国人もいた。そこで、「ミドルネーム」のフィールドもいるんじゃないか、というコメントが出た。加えて、結婚したけれど旧姓表記のまま仕事を続けている女性もいるから、そうした人はミドルネームに旧姓を入れれば便利だろう。そうなると、ミドルネームにも、読み仮名のフィールドが別に必要かもしれない・・

    クリスマス・メッセージ:名前を持つ存在として | タイム・コンサルタントの日誌から
    njamota
    njamota 2019/12/23
    「つながりというのは、信頼がなくては保てない。信頼というのはつまり、お互いを裏切らないこと、不確かな未来への期待に応えられること、を意味する。それは対等な間柄で、自由意志によって結ぶものであろう」
  • 答えなんて無い

    「ボケ老人の中にそうじゃない人を放り込むのがどんなに残酷なことかわかっているの?」 今日面会に行った時に母が投げつけてきた言葉だ。 春にくも膜下を発症後、手術は成功したものの様子のおかしくなった母はそれ以来施設のお世話になっている。だが自分ではおかしなことをしているという自覚はない。それでこの言葉だ。 そもそも母がいるのは認知症棟ではなく一般棟で、入居者は軽度の認知症か、認知症ではない人達。周りはボケ老人ばかりと決めつけている時点でかなり変だ。 「あなたは私がボケたと決めつけていて、それに当てはめて『ああやっぱりボケてる』と思うために毎週来ているんでしょう」「そんな風に思ってるならもう面会に来ないよ。」「もう来ないで。何かやるたびに『ほら、やっぱりボケてる』みたいに見られるのはもううんざり。鍵と銀行のカードを郵送で送ってくれたら私は一人で家に帰って一人で暮らすから。あそこは私の家だからあな

    答えなんて無い
    njamota
    njamota 2019/12/23
    世界に対して筋の通った解釈ができず、?と思った時こそ、自己肯定感とか基本的信頼感がものを言うのだと思う。外界に対して敵対せずにいられるかどうかの分かれ目。その時に至ってどうこうできるものではないと思う