2021年4月13日のブックマーク (2件)

  • 祖父や祖母が、戦争で体験した哀しく悲惨…『ではなかった』話~

    先の戦争は、日全体では間違いなく大きな悲劇でしたが、不正や特権…あるいは仮に、そういったものがなくても 1:やはり確率的には飢餓や戦死の無い部署や地域もある 2:料も「流通」が先に滞るなどで農村漁村など『あるところにはある』地域も生まれる 3:まだ貧しい時代は「軍隊や動員先のほうが、日常よりまだマシ」という層もいる …等々で、戦争の時代が「悲惨ではなかった」経験も、必ず出てくるはずです。あまり語られない、そんな体験談。

    祖父や祖母が、戦争で体験した哀しく悲惨…『ではなかった』話~
    njamota
    njamota 2021/04/13
    母は甲府盆地の小作農の子供で、戦中戦後に白米を欠かしたことはないと言っていた。祖母は着物と引き換えに闇米を渡す事もあったらしい。戦後は農地改革で結構な土地持ちになったけど、もう住むところしか残ってない
  • 弱者男性だったけど障害者になって救われた

    元、弱者男性だった 年収250万、非正規雇用、高校中退、ブサイク、コミュ障、中学不登校 もちろん彼女いない歴=年齢 彼女どころか友達も居なかった 家族仲は最悪で、俺が中学を上がる頃に両親は離婚。母親はパチンカスで、父親は前科持ち。妹は俺が家を出た2年後に失踪した。今も行方知れず 高校を中退してすぐは肉体労働をしていたが、ヒョロガリの虚弱で1年も経たずにバックれ、それから非正規で事務職を点々としてきた 競争相手は主婦 出産でキャリアを断念した系の共働き主婦が多い。奴らは四大卒の元正社員だったりする 子持ちの主婦(大卒)と中卒の俺だと、大抵俺が負ける 条件の良い事務職ははなからそういう女目当てで、俺がありつけるのは人が入ってもすぐやめるような労働環境で給料も周りより一段低い仕事だけ 生きてはいけても貯金は出来ず、惨めで無意味な人生だった そんな俺の転機は35の時の交通事故 歩道を歩いていて、は

    弱者男性だったけど障害者になって救われた
    njamota
    njamota 2021/04/13
    「自分にとっての不幸は金や彼女が無いことではなく、人と関わることを無闇に恐れていたことだった」社会との健全な関わり方を習得することの重要さ。家庭で学び損ねた人向けの学習機会を整備できないものか。