2022年6月26日のブックマーク (3件)

  • 龍田寮事件 - Wikipedia

    ハンセン病の療養所である九州療養所には、患者の子弟を収容する、らい予防協会立「恵楓園」という保育施設が1935年(昭和10年)設立された[2]。1941年(昭和16年)九州療養所は国立療養所菊池恵楓園と改名した。ハンナ・リデルが創設したハンセン病病院回春病院も同年に廃止されて、らい予防協会に寄贈され、回春病院から寄贈された7万円のうちの、19,800円で菊池恵楓園での保育所と同規模の龍田寮が建築された[3]。以前の「恵楓園」に入所していた患者の子弟を収容することになった。学童もいたので、黒髪小学校龍田寮分校が開かれたが、教師も助教諭が一人と少なく、教育も行き届かなかった。中学生、高校生は地元の中学、高校に通学していた。菊池恵楓園は、1942年(昭和17年)より恵楓園は龍田寮の児童を黒髪校校に通学させたいと要求し、熊市は了解したが黒髪校の保護者の強い反対で、時期尚早として葬り去られていた

    龍田寮事件 - Wikipedia
    njamota
    njamota 2022/06/26
    ハンセン病患者帯同児童の寮から地元小学校への登校反対運動「反対派:恵楓園長の説明を聞いたが、あたかも法と科学の力で押さえるようにうかがわれた」自分の呪術的な心情を合理性で蹂躙されるのが受け入れられない
  • 才能の潰れ方

    https://anond.hatelabo.jp/20110120022852

    才能の潰れ方
    njamota
    njamota 2022/06/26
    ほめられるのがうれしいのと、上手にできるのが楽しいのと、ふたつの喜びがあるのでは。前者に頼ってるとつまずいた時にうまく切り抜けられないのかも。
  • 伊波 敏男(作家) vol.2 | ピープル | ハンセン病制圧活動サイト Leprosy.jp

    沖縄愛楽園から命懸けの脱走を経て、人びととの稀有な出会いに支えられながら、 ついに人前に晒すことができなかった両手をポケットから出し、 傷だらけになりながらも社会に対して声をあげつづけた伊波敏男さん。 長野の子どもたちとの交流や、フィリピンの地域医療を支える奨学金を通して、 伊波さんは若者たちに何を託そうとしているのか。 ライフストーリーをうかがうロングインタビューの後半をお届けします。 伊波 敏男氏 (いは としお) 1943(昭和18)年、沖縄県生まれ。作家。人権教育研究家。14歳からハンセン病療養所での医療を経て全快。その後、東京の中央労働学院で学び、社会福祉法人東京コロニーに就職。元東京コロニーおよび社団法人ゼンコロ常務理事。97年、自らの半生記『花に逢はん』(NHK出版)を上梓、同年、第8回沖縄タイムス出版文化賞を受賞。ついで『夏椿、そして』(NHK出版)を著し、ハンセン病文学を

    伊波 敏男(作家) vol.2 | ピープル | ハンセン病制圧活動サイト Leprosy.jp
    njamota
    njamota 2022/06/26
    「家族を守ることのできない社会との闘いに、果たして正当性が与えられるものなのか」社会の偏見にもまれる現実の中で家族を守りきれず離婚に至ったことに対する悔い。60年代に回復者として療養所を出て就職結婚した