かさぺた @kasabutaporori 息子、鉛筆食べちゃうから学校も許可もらってシャーペン使ってるんだけど「この前、鉛筆の芯見たけど全然美味しそうじゃなくてさ、なんで僕はこんなもの食べてたんだろうって思ったんだよね。もう鉛筆食べる気しないからこれからは鉛筆持ってく」と言って持っていった鉛筆がこちら。 pic.twitter.com/AzB9dWlXkv
時折、うちのインターネットの観測範囲内には「風呂と戦っている」「風呂との戦いに勝利した」といったメッセージが流れてくる。世間で「風呂は命の洗濯」などといわれるのをよそに、風呂を戦いの対象とみなし、一定の労力というかヨッコラショ感を伴ったかたちで風呂に臨む人たちが存在している。 入浴のできるできないは、一応、精神医療とも関係のある問題ではある。 たとえばうつ病や統合失調症など、精神疾患が一定以上に具合が悪くなると、それまでは楽しみにしていた入浴が億劫になったり後回しになったりすることがある。もともと入浴に抵抗が無かった人が入浴困難になっている時には、なんらか精神疾患が伴っていて、それも結構な具合の悪さになっていることを疑ってみてもいいと思う。 しかし入浴できない人=精神疾患がめちゃくちゃ具合が悪くなっている人、と決めつけるのも早合点だ。実際、そういうわけじゃないのに入浴が苦手な人も世間にはい
父はインフラ勤め、母は専業主婦の普通の家庭に生まれた。両親はふたりとも高卒で20代後半で結婚してわたしが生まれた。 小学生の途中で、父はローンで家を買い、社宅から出た。 住まいは社宅から一軒家になり、リビングのある1階と寝室のある2階の家になった。 父は酒を飲み、タバコを吸う男だった。そして母は一滴も酒が飲めなかった。 父は暴力は振るうことは一度もなかったが、酒を飲むと、少し語気が荒くなった。母はそれを毎日避難し、毎日2階に逃げた。 子供の頃のわたしは、母を2階に呼びに行かなくてはならなかった。 母は常にわたしに、年をとったらわたしが母を介護するのだと毎日言い聞かせた。 子供であるわたしは、毎日父の不満しか口にしない母に媚び、慰めないといけなかった。 そしてたまに1階でわたしは父が酒を飲んでこぼす母への愚痴を聞いてあげないといけないのだ。 わたしは2階の自室で部屋のベッドで小さくなりながら
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