聖書通読ブログヨブは、ビルダデの意見を受け入れている。おかしいと思うところがあるのに反論できずに言い負かされてしまったようなみじめさがあるのではないか。確かに神は義しい。しかし、だからといって自分に罪があるとは思えない。いや、自分がわからない(21節)。自分がどんな罪を犯しているのか。罪とも思わずに罪を犯しているのか。実に神経がまいってしまうようなことではないだろうか。 ヨブの気持ちの中には、自分は自分を見失ってはおらず、自分に間違いはないという確固たる思いがあったのだろう。しかしあるいは自分が自分を見失っていることもあるかもしれない。ただその可能性は薄い。私は間違っていない。では、どうして私は責められるのか。ヨブは、二つのことを神に訴えている。 第一に、人は神と争うことはできないということ(1-13節)。誰が神に逆らうことができようか。神は、神であって人ではない。神と人との間には大き