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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsukazuto (7)

  • 怪文書ブログ作製のための習作 - 俺は魚だ,と言ってみるテスト

    その1   その2(未完成)

    nkoz
    nkoz 2009/03/01
  • 人生を最高に豊かにするために,熱帯魚を飼うべき - 俺は魚だ,と言ってみるテスト

    熱帯魚, まじめな話はじめにぼくは幼稚園に入る前くらいの記憶というのはあんまり残っていないのですが,さすがにその頃の記憶のなかでも毎日ルーチンとして取り組んでいたものは覚えています.ぼくは毎日,母が勤務先の病院から月に一度大量に貰ってくるA3くらいの紙に,魚の絵を描いていたのでした.海のなかの景色だったり,自宅で飼ってた金魚水槽の絵だったりと,その時によって描く対象はさまざまだったのですが,とにかく魚と水生環境を描いていました.…ぼくの人生は,その時に決まっていたのかもしれません.シーズンになれば釣りに興じていますし,そしてついに,今年から熱帯魚を飼い始めました.アクアリウム始めました!−俺は魚だ,と言ってみるテストぼくはこのエントリで,熱帯魚を飼い始めたことを宣言し,また一家に一アクアリウム計画をぶち上げたのですが,その後「うちでもアクアリウム立ち上げました!」とか「matsukazut

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    nkoz 2009/02/23
  • ヤンキーの人との思い出 - 俺は魚だ,と言ってみるテスト

    作り話ぼくが中学2年の頃の話です.ぼくの通っていた中学校は結構荒れている感じで,ちょうど氣志團みたいな格好の人が10人ぐらいいて,その人たちの下には30人ぐらいの予備軍みたいな人たちがいて,さらにその下には5〜60人ぐらいのスポーティ・ヤンキー予備軍みたいな人たちがいて,というヤンキー・ヒエラルキーみたいなものがあり,生徒の格づけというかジャンルわけをするのにかなり用いられた指標であったように思います.ヒエラルキーというだけあって,この辺のヤンキー度が高い人たちは低い人たちを時にはいじめたり,時にはアゴでこき使ったり,かなりやりたい放題でした.やはり中学生ですからこの辺のヤンキー度というのはモテ度とかなりの相関があり,その辺が自信や優越感みたいなものの裏づけになっていたんだと思います.ぼくはこのヤンキー・ヒエラルキーで一番下,最下層に居ました.知的,品行方正,エレガンス,そして弱小軟式テニ

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    nkoz 2009/01/17
  • 就職活動エレジー - 俺は魚だ,と言ってみるテスト

    作り話世界的な金融危機のなか就職活動に励むぼくは,2008年の暮れ,ある企業に履歴書兼エントリーシートを出した.希望順位としてはさほど高くなかったのが,面接とかエントリーシートの練習になるだろうとか舐めたことを考えての応募だった.エントリーシートは二枚ある.一枚目は住所,氏名,年齢,性別,高校以降の学校歴…そんなもんは誰にでも書けるのでさっさと書いた.但し,ペン先に力を込めて.一枚目をめくり,二枚目の紙の「志望動機,特技,資格」などと書かれた下の巨大な空欄部分を見る.こここそがぼくの就職活動のはじまりである.これは志望動機にかこつけて自己PRを書くのだ,などと抜かすアホウがいたが,言われた通りにした.自己PR.ブログやソーシャルブックマークなどといったツールを使って毎日自分をインターネット界にアッピールしているぼくの得意分野である.大きく深呼吸して,ブログやブクマコメや卒論の100倍は推敲

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    nkoz 2009/01/08
  • バイアグラの思い出 - 俺は魚だ,と言ってみるテスト

    作り話たぶんバイアグラっていう薬が一般的になってきたのってぼくが中一くらいのころ,1998年くらいだったと思う.ぼくのその当時のバイアグラに関する知識といえば,何かよくわからない変な薬である,という程度しかなかったんだけど,その時の担任の先生が朝の学級会かなんかで「きょうは風邪引いて薬飲んできたんだよ〜」と言ったときに,ひょうきん者のぼくは「バイアグラですか?」と言って笑いを取ろうとしたのだった.ぼくの意気揚々とした発言の直後になぜか皆黙ってしまったから,ぼくは「すべった!」と思って,先生のフォローを期待してすがるような視線を送ったんだけど,先生は鬼のような形相でこっちを睨んでいた.そのあとクラスメートの前で一時間くらい説教されて,ぼくは何とかその場を治めたかったからとにかく何度も謝ったんだけど,実際その時は何を怒られているのか,何で謝ってるのかわからなかった.しばらくして,何と言われても

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    nkoz 2009/01/04
  • 光のページェントと家族 - 俺は魚だ,と言ってみるテスト

    作り話仙台ではこの前の金曜日から,毎年恒例の「光のページェント」というイベントが開催されていて,仙台市中心部のケヤキ並木は60万個もの電球がともされ,「朝青龍は既に終わった力士」という発言で有名な内舘さんの言葉を借りれば「まるで山火事のような」様相を呈している.誰かの頭もまるで山火事のようだ.ぼくが初めて光のページェントをみたのは多分,小学校1年の頃だったと思う.家族みんなで電車に乗って仙台にやってきて,あまりの人の多さとものすごい寒さにげんなりしながらも,ぼくの両手には父と母の温かい手のぬくもりが感じられたのを思い出す.ぼくにとっての光のページェントは,家族の温もりを思い出すことができる年に一度の大切なイベントなのだ.とくにぼくが母と祖父との間の子だということがわかってからは,温かかった家族のぬくもりはまるで寒空の下の公園のベンチのように冷え切ってしまったのだった. そんな家族をかろうじ

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    nkoz 2008/12/18
  • 消えた200人 - 俺は魚だ,と言ってみるテスト

    思ったことぼくが通っていた中学校は,一学年に240人くらいいる,いち地方都市の中核校だった.その半数以上が地元の高校に進学する.ぼくの年もそうで,やはり地元の,というか中学の隣にある高校なんだけど,そこに半数以上が進学した.ぼくは中学卒業後に隣の隣の隣の市にある学校に進学して,自宅から毎日電車で通学した.大学も大学院も通学にさほど不自由の無い場所にあるので,今でも自宅から通学している.時刻表はこんな感じだけど…こんな風に中途半端なかたちで23歳になった今も地元に住んでいるぼくには,最近不思議に思っていることがある.240人もいたはずの同級生が,どこにもいないのだ.たぶん去年までは休日に地元の大きな屋に行けば,知った顔の2つや3つを見つけることは容易だったはずなんだけど,それが今年に入って,全く無くなった.試しに地元で最も多くの人が集まるヨークベニマルにも行ってみたが,だれもいなかった.こ

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    nkoz 2008/08/01
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