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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/SuzuTamaki (2)

  • ゲーム批評はいかにあるべきか - らいたーずのーと

    ■ 既存のマンガ批評に対する苛立ちから「マンガ表現論」を立ち上げた伊藤剛、そして、その方法論をアニメ批評に対しても応用し「アニメ表現論」を立ち上げた黒瀬陽平、あるいは同様に新しいマンガ論を試みる泉信行。近年、従来のサブカルチャー批評において中心であった「物語論」から脱却し、各種サブカルチャーの「表現論」を志向する論文が多数提出されている。だが、そのような形で「批評」から取り残されてきたのはマンガやアニメだけではない。特に90年代以降の若者文化の中ではマンガやアニメ同様にサブカルチャーの代表的メディアであると認知されながらも、「物語論」すらまともに行われてこなかった文化――それが、「ゲーム」である*1。 ■ そのような問題意識は、若手批評家の立場から少しずつではあるが提示されてきている。『筑波批評』2008年秋号(ゼロアカ道場破り号)に掲載された高橋志行氏による「文芸批評家のためのLudol

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    no5no5 2009/01/31
  • 『思想地図』発刊記念シンポジウム「公共性とエリート主義」レポート - らいたーずのーと

    昨夜(6月16日)、新宿紀伊国屋店7階にて開催された、東浩紀・北田暁大・姜尚中・宮台真司・鈴木謙介五名によるシンポジウム。テーマは「公共性とエリート主義」。まず最初に北田暁大による基調報告が行われ、それに対する鈴木・宮台・姜のコメントで第一部を終了。来予定していた休憩時間をカットして、そのまま第二部の討論へと進む。時間は19時5分開始、21時45分終了。 以下ではシンポジウムを聞きながら取ったメモを用いて簡単なレポートを書く。 もちろん、書ききれなかったことや理解が不十分な部分も多々あり、不完全なレポートとなっていることは明白で、むしろその穴をコメントなどで指摘していただいて修正していくことができたら、と思っている。 ■第一部前半――北田暁大の基調報告 前回のシンポジウムのテーマ「国家・暴力・ナショナリズム」と、今回のテーマ「公共性とエリート主義」が、どのようにつながっていくのか、とい

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    no5no5 2008/06/18
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