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ブックマーク / ameblo.jp/florule (2)

  • 『封建社会を終わらせたように』

    エジソンとかフォードとか、あるいは、豊田佐吉とか松下幸之助、田宗一郎とか、産業資家たちは、思想的にも政治的にも、いろいろとなんだかんだあっても、世界の暮しを変えたほどの物の変革者だった。 そういう"ド迫力"は今の資家たちには見られない。むしろ、腐敗の象徴ばかりが目立つ。 私が業界新聞にいた頃は、島正博、堀録助に凄みを感じていた。 20代の頃、初めて自分一人でワンマン社長(=独裁者)堀録助インタビューに臨んだときはガタガタ震えていたほど。(でも、その時の記事を三日間、デスクに置いていたのは珍しいことだったと、秘書課長が教えてくれて歓喜 (^^♪ ) 島正博さんは、和歌山の島精機製作所の創業者。工業用横編機の開発競争で世界制覇。 堀録助さんは厚木ナイロンの創業者。国策会社・片倉工業の出身で、戦後のストッキング業界を発明の連続で様変わりさせた。シームレスストッキング、パンティストッキング

  • 『反戦平和という闘い』

    kyottides的 喜怒哀楽一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。 独仏の初の連帯 ⇒独仏戦争での敗北を機にパリで労働者政府コミューンが立ち上がったが、ブルジョア政府軍に弾圧された。 戦争勃発前から、国際労働者協会は独仏労働者の反戦の連帯を呼び掛けていた。 敗走するコミューン兵たちの逃げ道を開けたのはパリを包囲していたプロイセン軍兵士たちだった。 おそらく、反戦平和の闘いは、この当時が初めてだったと思う。以来、世界では、平和の希求は常に労働者階級あるいは被抑圧民族の闘いだった。なぜなら、戦争は支配階級の利害の争奪戦であって、犠牲を強いられるのは抑圧された者たちだったのだから。 平和のための闘いは、常に勝ち取るものだった。 権力の側が「平和」を語る時、それは、いつも欺瞞に満ちたものだった。「平和」

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