京極 高次(きょうごく たかつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。若狭国小浜藩の初代藩主。 生涯[編集] 永禄6年(1563年)、京極高吉と京極マリア(浅井久政の娘。浅井長政の姉)の長男として、浅井氏の居城である近江国の小谷城京極丸で生まれる。幼名は小法師と称した。 元亀元年(1570年)、父高吉の人質として、岐阜の織田信長のもとへ送られた。高吉は信長の軍勢への招きに対して、上平寺城に整居剃要して応じず、代わりに嫡子を差し出すことで、異心のないことを示したのである[1]。 高次が人質生活を送っていた頃、京極高吉・マリア夫妻は洗礼を受けた。安土城下のセミナリヨで説教を四十日間続けて聴き受洗したという。このとき信長に仕えていた「十一、二歳の幼い子息」すなわち高次も受洗する予定であったが、見送られた。受洗後まもなく高吉が急死し、キリシタンになったことが神仏の罰を招いたと恐れ
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