高山 右近 / 高山 重友(たかやま うこん / たかやま しげとも、天文21年〈1552年〉または天文22年〈1553年〉- 慶長20年1月6日〈1615年2月3日〉)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名である。代表的なキリシタン大名として知られ[3]、カトリック教会の福者でもある。父は摂津国人・高山飛騨守。 呼称[ソースを編集] 右近の幼名は彦五郎[1][注釈 2]。長じて通称を右近といった[1]。史料からは右近允、右近助、右近亮[5]と名乗りを改めていることが分かる[4]。後に大蔵少輔と称した[4][6]。茶人としての号は南坊(みなみのぼう)[4][注釈 3]。署名には等伯の号を使用した[4]。 洗礼名は「義人」を意味するジュスト[9][注釈 4](ラテン語読みでユストとも[11])。外国側の文献にも「ジュスト・ウコン殿」(Justo Ucondono)とある[9]。右近
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