ブックマーク / furuyatoshihiro.hatenablog.com (1)

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    ●二人称の思考というものがある。たとえば次の例のような。 《ミクロな視点では連続的に運動し、マクロな視点では或る時点で不連続が見出される。このとき、我々は創発概念を見出すことになる。ならば創発は二重基準の創りだす幻想に過ぎず、基的にミクロな描像に還元されてしまう。そうならないためには、ミクロとマクロを用意し、両者が異なる視点でありながら、その境界を不明瞭とする装置が必要となる。》(『生命壱号』郡司ペギオ-幸夫)。 もし、マクロがミクロに還元されてしまえば(一人称)、創発という「出来事」は消えてしまい、二つの階層をはじめから分離してしまえば(三人称)、創発という「幽霊」がどこから現れるのかわからなくなる。あらかじめミクロとマクロの階層構造があるのではなく、マクロがミクロに還元されるのでもなく、ミクロとマクロを、連続させたまま(一人称)で階層化(三人称)する時に必要な、メビウスの輪の「ねじれ

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    nolgrean
    nolgrean 2012/01/27
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