ブックマーク / suumo.jp (8)

  • 娘37歳、両親63歳で早めの”実家じまい"。親が元気なうちに始めたことで充実した老後になった - 【SUUMO】住まいの売却ガイド

    久しぶりに行動制限のなかった今年、多くの人が長期の休みに帰省をしたようです。喜ばしいことである一方で、「久しぶりに故郷に帰ってみると『親や実家の今後』のことが心配になった」という声も聞こえてきました。 皆さんは実家を手放す「実家じまい」について考えたことはあるでしょうか? 実は今、親も自分自身も比較的若いうちに実家を手放す「早期実家じまい」に踏み切る人が増えているのです。 記事の目次 1. 働き盛りの私たちにとって、実家じまいは他人事ではない 2. 親63歳、娘37歳で実家じまいを実行! 3. メリットその1 持ち物の整理がしやすい 4. メリットその2 不動産が高く売れる 5. 新たな家族関係を構築しやすい 6. 実家じまいありきではない。大切なのは、親が充実した老後を送ること 働き盛りの私たちにとって、実家じまいは他人事ではない 日の65歳以上の人がいる主世帯の、持ち家率は実に82.

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  • 悩めるアラサーだった私の揺らぎを受け止めてくれた街「幡ヶ谷」|文・山﨑ケイ(相席スタート) - SUUMOタウン

    著: 山﨑ケイ(相席スタート) 幡ヶ谷って、どこ? 幡ヶ谷に引越したのは30歳の頃。38歳で結婚するまで、30代の多くを幡ヶ谷で過ごしました。 幡ヶ谷はおそらくほとんどの人にとって、また私にとっても、元々あまりなじみのない地名でした。幡ヶ谷駅は新宿駅から電車で2駅。一つ手前の初台は新国立劇場にお芝居を観に行ったことがあるし、一つ先の笹塚には「笹塚ファクトリー」という劇場があったので、そこでネタをしたこともあります。笹塚ファクトリーでネタをする私の姿を見て、元々吉の後輩だった夫が私を好きになった話は、また別の機会に。それにしても、幡ヶ谷は用事がなければ行くことのない場所です。 私は、千葉県柏市で生まれ育ちました。いわゆるベッドタウン。父は柏から都内まで毎日通勤していましたし、私も大学から都内だったので、途中までは柏から通っていました。 大学2年生の頃に彼氏ができて、彼の家に入りびたるように

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  • 代官山、巣鴨、祐天寺。落語家・柳亭小痴楽さんが暮らしてきた、冷たくない東京【東京っ子に聞け】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真: 小野奈那子 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆ ◆ ◆ 今回お話を伺ったのは、落語家の柳亭小痴楽さん。幼少期を代官山で過ごし、小学4年生で杉並区の井草へ。その後も巣鴨や広尾、祐天寺など、東京都内を転々と移り住んできました。 さまざまな街で暮らしてきた小痴楽さんですが、その経験をふまえて最も心地よいと感じるのは「人と人の距離感が近く、温かさを感じられる街」。そんな街で触れ合う

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  • 鷹の台に『ノルウェイの森』はなかった | 文・地主恵亮 - SUUMOタウン

    鷹の台という街がある。東京都小平市にあり、西武国分寺線が走り、江戸時代に玉川兄弟がつくった玉川上水が流れている。武蔵野美術大学や津田塾大学があって学生街に思えるけれど、実際は緑の多い静かな住宅地だ。 武蔵野美術大学は羽海野チカさんのマンガ『ハチミツとクローバー』の舞台のモデルとされる大学で、津田塾大学は村上春樹さんの小説『ノルウェイの森』のヒロイン・直子が通った大学のモデルといわれている。そんな「青春が詰まったような街」に、大学生の私は住んでいた。 美大生になって、上京するまでのこと 私は高校に入学したころから「美大に行こう」と決めていた。今となってはなぜそんな目標を定めたのか、よく思い出せない。映画や写真、絵画が好きだったからだとは思う。地元・大分の普通科の公立高校に入学したけれど、勉強には向かないようだったので、一般的な大学入試は無理だと考えてそのような進路にしたのだろう。 この記事を

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  • 「これ以上、町田に何が必要か分からない」フリーアナウンサー堀井美香さんの町田愛 - SUUMOタウン

    取材・編集: 小沢あや(ピース株式会社) 構成: 吉野舞 写真:飯貴子 3月末で長年勤めたTBSを退社した、フリーアナウンサーの堀井美香さん。エッセイストのジェーン・スーさんと共にパーソナリティを務めるポッドキャスト番組『OVER THE SUN』は多くのリスナーを抱え、大人気番組に。現在は朗読会のプロデュースを担当するなど、ご活躍されています。 堀井さんが長年愛しているのは、もともと縁もゆかりもない東京都の多摩地域南部に位置する街「町田」。秋田出身の堀井さんがなぜそこまで町田に惹かれたのか? また、東京都心から少し離れた町田ならではのおすすめスポットや、子育て中のエピソードも伺いました。 馴染みがなくても子育てしやすい街「町田」 ―― 堀井さんは、新卒でTBSに就職後、すぐに結婚、出産を経験されましたね。テレビ業界の方は都心に住むイメージがあるのですが、そもそも、堀井さんはなぜ町田を選

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  • お先真っ暗な東京での日々。「呪い」を解き、もう自分は大丈夫だと思えるまで|DJ松永さん【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:谷浦龍一 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」に登場いただくのは、DJ松永さんです。 新潟県の長岡市で生まれ育った松永さんは、中学2年生でヒップホップと出会い、その「得体の知れないかっこよさ」に魅せられていきます。その後、高校を中退するほど没頭するようになり、やがてDJとしての活躍の場を求めて東京へ。 しかし、上京後に待っていたのは苦渋の毎日。東京のクラブに居場所はなく、苦労して制作したアルバムも売れず、辛酸を舐め続けました。その後、2013年にラッパーのR-指定さんとCreepy Nutsを結成してからは少しずつ状況が好転していき

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  • 日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由(文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 「日一有名なニート」という謎の肩書を過去に持ち、長年にわたってギークハウスというシェアハウスを運営していたphaさんが、2年前にとうとう一人暮らしを始めたそうだ。phaさんを知る人にとっては、ちょっとしたニュースである。 そもそもなぜシェアハウスを始めたのか、どうしてニートの道を歩み続けたのか、そして今はどんな暮らしをしているのか。学生時代から遡って、人からじっくりと話を伺った。 ちなみにphaさんと私の関係は、共通の友人に呼ばれて年に何度か顔を合わせるくらいの薄い関係で、二人きりで会うのは今回が初めてである。 家賃4100円の寮で過ごした京都大学時代phaさんは1978年生まれの42歳(2021年3月現在)。出身地は大阪で、大阪城の側にある高校を卒業後、現役で京都大学の総合人間学部に進学。 最初の一年間は実家のある大阪から京都まで通っていたが、二年目からは伝統的に寮

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  • 美大生のための伝説のアパート、DIYし放題で“住み継ぐ”

    美術大学(美大)や美術系学科のキャンパスが集まる東京都町田市。多摩美術大学、東京造形大学、東京工科大学などに通う多くの美大生が生活しているこの町に、約15年にわたり歴代の美大生らが住み継いできたアパートがある。DIYし放題で原状回復も不要という一風変わったこの物件では、どんな暮らしが営まれているのだろうか? 芸術を学ぶ学生を支えたい。元コーヒーショップ店主の思い 町田駅からJR横浜線で4駅。相原駅から歩くこと5分、黄色い外壁が特徴的な大きなアパートが現れた。ここが美大生の受け継ぐ“伝説のアパート”「アップル&サムシングエルス」だ。

    美大生のための伝説のアパート、DIYし放題で“住み継ぐ”
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