それまで私は、小説家をはじめとする人々の私生活エッセイを読むたびに「この人は、どうしてこんなに赤裸々に自分のことを書けるのだろう?恥ずかしかったり、困ったりすることはないのだろうか?」と、不思議だったものである。 ところが自分で描くうちに少しわかったことは「どうしても描きたくないことは、描かなくてよいのだ」ということだった。そして「描いているのは確かに全て事実だし、嘘はないけれど、自分というフィルターを通した時点で、これは"フィクション(創作)"になっているのだと」と、気がついた。 高橋由香利「トルコで私も考えた」4巻あとがきより 何となく最近、書かなくなってきて、書こうと思っても「これは書いちゃいけないんじゃないか」と思って結局やめておくということが続いたのだけれど、この文章を読んで「そうかあ」と思っていました。まあ気力がなかったというのもあるんだけれど。 今まで私が書いてきたこと