タグ

ブックマーク / note.com/ishtarist (2)

  • 統一教会との関係、いったいなにが問題なのか?政治家「7つの大罪」について。|馬の眼 ishtarist

    安倍元首相の殺害以後、統一教会と政治との癒着についての批判が、堰を切ったようにマスメディアに溢れ返っています。 この奔流に抗ってみるように、「統一教会との関係ばかり批判するのはおかしい」「政治家の信教の自由に対する侵害だ」といった言いぐさで、冷笑的な態度をあらわにする評論家もいます。 三浦瑠麗はあるテレビ番組で、「正直統一教会について興味がない」と発言しながら、政治との関係にあらゆる団体がロビー活動をするのは当然だという主旨の発言をしました。 こうした反論に共通していることがあります。統一教会とはどのような組織なのか、何を信じているのか、何をしてきたのか、そもそも具体的な理解がまったく欠落しているという点です。 来、政治との関係が適切かどうかは、その組織との関係を通して政治が何に加担し、どのような影響を及ぼすのか、事実ベースで判断されるべきことです。 その一方で、「そもそも政治との関わり

    統一教会との関係、いったいなにが問題なのか?政治家「7つの大罪」について。|馬の眼 ishtarist
  • なぜ「パリテ」は最悪の選挙戦略か ―民主主義のためのデザイン原論②―|馬の眼 ishtarist

    政治をデザインするということ今回は、民主主義のためのデザイン原論、第二弾です。 前回の記事では、民主主義とデザインの関係について、次のように述べました。 ある政党がデザインに致命的に失敗するということは、その政党が「有権者の立場に立って」考えることができない、という事を示しています。分析者にとってだけではなく、そのデザインに触れた有権者もそう受け取るということです。 今回以降は、民主主義とデザインの関係をさらに深く掘り下げていきます。はっきり言えば、選挙と政党をいかにデザインするのか、という話です。 「え、選挙と政党をデザインする、ってどういうこと?政党Webサイトや選挙ポスターをデザインするってことならわかるけど・・・」と思われた方。それが常識的な反応だと思います。 ただ、政党や政治家は来、有権者にとって「道具」にすぎないと言えば、ちょっと伝わるでしょうか。ここではさしあたり、有権者や

    なぜ「パリテ」は最悪の選挙戦略か ―民主主義のためのデザイン原論②―|馬の眼 ishtarist
  • 1