1912年(大正元年)12月8日、相生橋から己斐(現在の広電西広島)間が開業し広電本線が全面開通[5]。それに伴い本線にかかる6本の電車専用橋[5]のうち2本として架橋した。 場所は己斐鉄橋が山手川(己斐川)と福島川(川沿川)が形成する中州から西の己斐に向かう位置、福島鉄橋が中州から東の天満町に向かう位置である。上流側それぞれに近接する己斐橋および福島橋は、近代においては国道2号筋であり、人や車はそちらで渡っていた。1932年(昭和7年)中州を浚渫し河川幅を拡幅する太田川放水路工事が決定し、それに伴い架替えが決定した[6][7]。ただしその時点では平和大通りは計画されておらず、実際に工事が進められたのは戦後からである[7]。 1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下。爆心地から己斐鉄橋は2.10km、福島鉄橋は1.50kmに位置した[8]。己斐鉄橋は爆風により小破、福島鉄橋