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2020年11月21日のブックマーク (5件)

  • 車は通行不能、倒木や落石がゴロゴロ…国道256号の“酷すぎる分断区間”を4時間かけて踏破してみた | 文春オンライン

    そんな峠道に、暗闇のなか突入するのはやめておこう――。そこでいい抜け道はないかと、私はスマホの地図アプリを眺めた。すると、飯田市上村から進路を西に変えて国道256号に入れば、その先の飯田市街から高速道路に乗れることがわかった。 実際の地図アプリの画面。国道152号から256号へ抜けるルートがわかる 国道256号へ向かうには、上村から一旦県道に入る。その道を3キロほど北に進むと、256号に左折できるようだ。早速県道に入り、北上する。……だが、明らかに3キロを過ぎても、一向に左折できそうな道が現れない。地図アプリを確認すると、既に256号への分岐点はとうに越えている。 どれだけ走っても見つからない道 「スマホの電波状態が悪いから、きっと現在地が正確に表示されてないのだろう」。そう思い、Uターンして分岐点付近に戻ってみたが、やはり道が無い。さらにUターンして行ったり来たりを繰り返したが、結果は同

    車は通行不能、倒木や落石がゴロゴロ…国道256号の“酷すぎる分断区間”を4時間かけて踏破してみた | 文春オンライン
  • 全住民退去もダム計画が消滅…水没しなかった「悲哀の廃村」無人化から“35年目の世界” | 文春オンライン

    福井県の山深い場所に、その集落はある。京都府、滋賀県との県境に近く、県道35号から南に伸びる頼りない一道しか交通手段はない。都会の喧騒とはかけ離れたこの場所に、かつて9世帯が暮らす永谷集落があった。 その平穏な村にダム計画が持ち上がったのは、今から40年前の話だ。ダムが完成すれば、集落は水没して消滅する。穏やかな日々を過ごしていた住民たちは、賛成派・反対派に分かれて対立したが、最終的には全世帯が移転し、集落は無人となった――。

    全住民退去もダム計画が消滅…水没しなかった「悲哀の廃村」無人化から“35年目の世界” | 文春オンライン
  • 庚申塔 - Wikipedia

    神奈川県藤沢市 伊勢山公園にて、2017年8月18日撮影 栃木県日光市にて撮影 庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。 庚申待(庚申講)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜[1]寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や馬頭観音や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。 庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前

    庚申塔 - Wikipedia
  • 庚申塔(こうしんとう)って何

    寿命を縮めないために 江戸時代に大流行した民間信仰 旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」、「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。 身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立し

    庚申塔(こうしんとう)って何
  • 道ばたの文化財 庚申塔

    ねえ、ひろみさん。学校から家に帰る途中に、石で作ったお墓みたいなのがあるよね。大通りから入ったところの、道ばたに立ってるやつ。

    道ばたの文化財 庚申塔